
盆棚飾り
お盆の意味
お盆は旧暦7月15日(最近は新暦の8月15日)を中心に行われます。この前後は、ふるさとに帰省する人たちによる交通渋滞がテレビや新聞のニュースになるのが毎年の恒例になるほど身近な行事でもあります。
一般に、お盆は仏教と密接な関連があるとされています。仏教では盂蘭盆会(うらぼんえ)といって、子孫が絶えて、供養を受けられない死者の霊は餓鬼道(がきどう)におちてさかさ吊りの苦を受けるので、無縁者にも飲食物を供えて霊の苦しみを救おうとする、インドの古い民間信仰に基づいています。日本でも奈良時代以前の推古14(606)年や斉明3(657)年など、仏教伝来(538年)の初期に行われた記録があります。
一方で、盆行事には、仏教色に隠れていても、わが国独特の、先祖をまつる形式の痕跡をかいま見ることができます。それは満月の日に子孫のもとを訪れる先祖の霊を迎えてまつる行事です。これは初春と初秋の年2回、行っていたらしい。初春の満月の日に行うのは1月15日の小正月の行事です。そうして、盆行事は初秋の満月の日に行っていた行事だったのです。これが仏教の盂蘭盆会と習合したと考えられています。
盆行事の「盆」は精霊にそなえる供物を盛る器、お「盆」のことであったのが、やがてこの器でまつられるもの自体を指すようになり、盂蘭盆会の「盆」といっそう混同されたとする説が有力です。
ちなみに、7月7日の七夕も外来の習俗とわが国の習俗が融合したまつりです。牽牛と織女が出会う日で、技芸の向上を願うとする考えが中国伝来の七夕です。これに対して、わが国ではこの日は「ボンハジメ」などとして墓掃除や仏壇の道具を清める日でした。また、七夕には雨が降るとする伝承が各地にあるのは、先祖の霊を迎えるにあたり、水によって禊ぎ、清めをする意図を反映しているともいわれています。
今野家のお盆
1957(昭和32)年頃に新暦8月に移行。それ以前は旧暦7月。

昆布・提灯・札をつけ、中に盆棚に供えた食料をいれて、16日夕方に流す。


コモの両端のひげはホトケサマが棚に登るのが楽なようにと長くする。
- 8月7日
- 墓そうじ
- ハカハライ
- 8月13日
- 盆棚飾り
- 午後から行う。場所はオカミ。
- 8月14日
- 墓参り
- 朝、盆棚にダンゴを供える。長泉寺にある墓(明治以降)とともに山にある旧墓(江戸時代)にハスの葉(無いときはイモの葉)の上にセンマイとダンゴを供える。センマイ(アライゴメ)は洗った米に細かく刻んだナスを混ぜ、お茶をかけたもの。この日に寺から拝みに来る。
- 8月15日
- 特になし
- 8月16日
- 送り
- かつては15日に送っていた。夕方、燃える物と燃えない物を分けて、燃える物は山の旧墓にいって麦からで火をつけて焚いた。燃えない物は長1mほどのボンブネで皿貝川に流した。場所は今野家の山ひとつ西の月迫(つきはさま)で、沢が川に合流するところ。ボンブネはムギワラをイネワラで編んで作るもので、エジコやオヒツイレを製作方法は同じ。帆柱付きで、チョウチン・ロウソクで火を灯す。中に盆棚に供えたダンゴや野菜・果物を入れる。コンブは舟の舳先(へさき)に巻く。昭和40年代まで流していた。その後、川が汚れるなどの理由でやめた。
盆期間中の献立
- 8月13日 夜
- 肉や魚を使わない精進料理
- ゴハン・アブラアゲの味噌汁・キュウリもみ・ナス煎りといっている、醤油味のナスのきんぴら。
- 8月14日 朝
- 朝に作ったダンゴ
- 作り方はモチゴメの粉をぬるま湯で練って丸め、湯の入った鍋に入れ、浮いてきたら取り上げる。砂糖入りのキナコ、アンコをまぶして食べる。キナコはイワクドにかけてあるホウロクでダイズを煎ってイシウスで挽いて作った。ゴマダンコは食べない。今野家を含む石巻市北上町橋浦字喰迫8軒はゴマを作らない。理由は共同で祀っている釈迦がゴマ嫌いだから。汁はアブラフ・タマネギ・ミョウガ入りの醤油汁。
- 8月14日 昼
- 乾麺のウドン
- 汁はアブラフ(マメフ)・タマネギ入りの醤油汁。上盛といって、ウドンの上にアブラフなどをのせる。
- 8月14日 夕
- 精進料理
- 8月15日 朝
- 朝に搗いたモチ
- キナコやアンコモチ、また正月のゾウニ(正月雑煮はカジカだしでスジコ(ますのこ)・ダイコン・ニンジンを入れる)よりも具が少ないツユモチ。キュウリモミ。
- 8月15日 昼
- モチ
- 8月15日 夕
- 精進料理、ニシメ
- 8月16日 朝
- 精進料理
- 8月16日 昼
- 精進料理
- 8月16日 夕
- アヅキゴハン
- いつもより早めにの5時頃、飯台を仏様の前に出して食べる。
モチゴメ6、ウルチマイ4の割合で、煮たアズキを汁ごと入れて炊いたもの。
食事が終わると送る準備をする。