「酒呑童子図屏風(しゅてんどうじずびょうぶ)」 (左隻)
東東洋筆 六曲一双 紙本著色 江戸時代後期
平安時代、都に近い大江山で悪行を重ねていた酒呑童子を、武将源頼光(みなもとのらいこう)一行が退治した物語が描かれます。全部で七つの場面があり、左下から順に物語が進んでいきます。
近づいて見ると、生き生きとした表情の頼光一行やどこか可愛らしい鬼たち、美しい季節の草花が目を楽しませてくれます。離れると、ひと続きの風景のように見えて、じつは異なる場面が巧みに組み合わされた構図の面白さに気がつきます。見どころが多く、東洋の魅力が存分に発揮された優品です。
「酒呑童子図屏風(しゅてんどうじずびょうぶ)」 (右隻)
「酒呑童子図屏風(しゅてんどうじずびょうぶ)」 (右隻部分)
「松浜図屏風(しょうひんずびょうぶ)」
東東洋筆 二曲一双 紙本淡彩 江戸時代後期
墨や絵の具を手前の松には濃く、奥の島や山には淡く使って、遠近感を生み出しています。加えて、特徴的な島のかたちが、まるで実在する風景を屏風の中に眺めているように感じさせます。
一方で、人の姿が見当たらず、靄(もや)に遠くがぼんやりかすむ様子はどこか幻想的な雰囲気で、見る人の心を惹きつけます。
松のある浜辺の風景は古くから描かれた題材ですが、東洋はこれを実在の景色を想像される情感漂う風景として描いています。
「耕織図屏風(こうしょくずびょうぶ)」(右隻)
東東洋筆 六曲一双 紙本著色 江戸時代後期
向かって右の屏風には米作りのようすが、左の屏風には蚕を育てて繭から糸をつむぐ過程が描かれます。田を耕す春、稲刈りの秋というように、一つの屏風の中で異なる季節や時間へ、場面が移り変わっていきます。
耕織図は、もともと中国で皇帝が民の農作と養蚕の苦労を知り、政治をおこなう上での戒めとするために生まれたとされます。しかし東洋の屏風では、農作業の詳しい工程やその労苦よりも、農村のほのぼのとした雰囲気が強調されています。
「耕織図屏風(こうしょくずびょうぶ)」(左隻)
「耕織図屏風(こうしょくずびょうぶ)」(右隻部分)
東東洋(あずまとうよう) 1755~1839
現在の宮城県登米(とめ)市石越(いしこし)町出身の絵師です。はじめに当時の主流だった狩野派(かのうは)に弟子入りし、その後は京都や長崎など各地で修行して多くの画風に接しました。
なかでも、実物の観察と写生を重要とした円山応挙(まるやまおうきょ)や、応挙の画風に詩情豊かな表現を加えた呉春(ごしゅん)の絵画に影響を受け、呉春を祖とする四条派(しじょうは)の絵師として活躍しました。
太くやわらかな線、角の少ない単純化されたかたち、ほのぼのとした気分の人物や動物など、穏やかで親しみやすい画風に特徴があります。
京都を拠点としながら仙台藩の御用絵師(ごようえし)としても活躍し、帰郷後も多くの弟子を育てました。