家相図(明治8年)
代数有之御百姓書出(だいすうこれあるおんひゃくしょうかきだし、安永5年(1776))
橋浦村において、古くから代々続く家を書き出したもの。今野家は、初代九郎右衛門以前については名前・代数ともにわからないとしています。
家作手伝覚帳(かさくてつだいおぼえちょう、明和5~6年(1768~1769))
母屋の解体と建築の手伝いをした百姓の名簿。母屋が明和六年に建築されたことがわかります。
萬覚附帳(よろずおぼえつけちょう、宝暦6年~明和7年(1756~1770))
建築年に加え、大工や木挽(こびき)など職人の名前や費用が記されています。職人の名前に、現在も橋浦にある字名の「大須」とあることから、地元の職人が関わったと思われます。
カマ神
カマ神をカマド近くの柱や壁にまつる風習は、旧仙台藩領にみられます。今野家では、土間を見下ろすようにして台所の柱にまつられていました。
家相図(明治8年(1875))
母屋が建てられてから106年後の家相図。建物名などの記載はありませんが、色を付けたり斜線を引いたりして、母屋内部を明瞭に描き分けています。博物館で復元する際に、重要な参考資料となりました。