大量に廃棄された土偶(宮城県大崎市 根岸遺跡/2,300~3,000年前)
大量に廃棄された土偶(宮城県大崎市 根岸遺跡/2,300~3,000年前)
土偶はほとんどの遺跡で数点しか出土しませんが、根岸遺跡では調査面積がせまいにも関わらず、20点以上の土偶が出土しました。
板状土偶(宮城県栗原市 嘉倉貝塚出土/5,000年前)
縄文時代が始まった頃、土偶は小さなものが作られました。この頃の土偶は板状で薄く、腕を横に伸ばした形のものが多く見られます。頭は山形や楕円形で表現され、顔は、はっきりとした表現がありません。胸にリングや凹みがつけられています。短く外に開く脚があります。
板状土偶(宮城県栗原市 嘉倉貝塚出土/5,000年前)
頭の形が、三角形、四角形、楕円形のものがあります。より新しいものは、半分に割った竹や鳥の羽根の軸でつけた文様が体中にあります。
自立する土偶(宮城県川崎町 中ノ内A遺跡/4,500年前)
約4,500年前には、より人の形に近づけた立体的な土偶が作られるようになりました。下半身がしっかりと作られ、自立できるものがでてくることも特徴です。顔は表現されず、頭は丸い円盤をのせたように表現されています。山形県舟形町西ノ前遺跡では「縄文の女神」と呼ばれる国宝の大きな土偶がみつかっていますが、宮城県川崎町中ノ内A遺跡では、これとそっくりで小型の土偶が出土しています。
ハート形土偶(宮城県蔵王町 二屋敷遺跡/4,000年前)
顔がハート形なのでこの名前で呼ばれています。
X字形土偶(宮城県大和町 摺萩遺跡/2,500年前)
全体がX字形なのでこの名前で呼ばれています。
縄文時代の終わり頃の土偶(宮城県大崎市 北小松遺跡/2,500年前)
約2,500年前は、縄文時代の終わりの時期で、土偶の数もだんだん少なくなったようです。顔や衣服の表現は再び写実的なものに近づきます。東北地方では、弥生時代中頃の遺跡からもわずかですが土偶が出土しています。米作りを始めて生活が変わってきても、縄文時代の伝統を強く残していたことを反映しています。
服を推定できる土偶(重要文化財/宮城県東松島市 里浜貝塚/3,000年前)
土偶を観察すると縄文人の服や髪型などを考えるヒントが得られます。この土偶は上下に分かれた衣服を着ていたことを表現したと考えられます。また、頭部を観察すると、髪を束ねていたり、編み込んでいたり、髪飾りや、耳飾りなどの装身具を身につけていたようすをあらわしている土偶もあります。
貝殻の耳飾りをした土偶(重要文化財/宮城県気仙沼市 田柄貝塚/3,000~3,500年前)
左耳にツノガイという貝の殻がはめ込まれています。縄文人がピアスをしていたことを表現していると推定されます。
ピアスの表現がある土偶(宮城県大崎市 北小松遺跡/2,500年前)
目鼻立ちがはっきりとした顔は、縄文人の特徴がよく表現され、耳にあけられた穴は、ピアスをつけているようすをあらわしていると推定されます。