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福応寺毘沙門堂奉納養蚕信仰絵馬

養蚕に関する絵馬養蚕に関する絵馬

 角田市北根地区にある曹洞宗福應寺の毘沙門堂には、ムカデが描かれた絵馬が奉納されています。その数23,477枚。この膨大な絵馬は養蚕の豊作を願って近在はもとより、福島県から仙台市までの人たちにより、江戸時代から昭和50年代まで奉納されてきました。絵馬は、養蚕の豊作を願う農家が旧暦4月3日のお祭りの時に一枚借りて、その年の養蚕が豊作となると翌年のお祭りの時に2枚にして奉納しました。こうした習俗を倍返しと言います。こうして、毎年倍々と奉納される絵馬が増えていき、現在の枚数になりました。毘沙門堂を信仰する人は、北は大崎市鹿島台町、南は福島県に及び、1枚だけですが、茨城県や東京都の人からの奉納も見られます。この奉納範囲の広がりも毘沙門天の信仰の深さを示しています。福応寺毘沙門堂の絵馬は、江戸時代に始まり、明治時代に隆盛し、昭和になり衰退していった宮城県の養蚕の歴史をよく示した資料です。
ここでは、絵馬を描かれる内容から11種類に分類し、その代表的な例をご紹介します。

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ムカデと養蚕信仰

 毘沙門堂に奉納された養蚕の豊作を祈願した絵馬は、必ずムカデが描かれているところに特徴があります。養蚕の豊作祈願は、蚕の大敵であるネズミ除けの信仰でもあります。もっとも有名なのは招き猫に代表されるネコに対する信仰です。これに対してムカデを養蚕の神さまにする例はほとんどありません。

 福応寺毘沙門堂に祀られる毘沙門天は、多様な信仰の対象となる仏ですが、その一つとして養蚕の神としての側面を持っています。この毘沙門天の眷属神、神の使者となる動物としてムカデがあります。そのため、養蚕の豊作を毘沙門天に願うことから、ムカデの絵馬が毘沙門堂に納められるようになったと考えられます。

 一方、ムカデは養蚕の大敵であるネズミがその匂いを嫌うという言い伝えがあります。また、福応寺毘沙門堂がある山は、岩がちでムカデがたくさん棲んでいた、ともいわれています。こうしたことから、毘沙門堂と養蚕信仰が結びつきたくさんの絵馬が奉納されるようになりました。

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