色麻第24号墳全景
色麻古墳群は色麻町にある県内有数の群集墳で、大崎平野の南西部に位置しています。鳴瀬川支流の花川左岸の東西約800m、南北約400mの範囲に、約500基の小円墳が分布しています。
古墳群の年代は、7世紀中葉~後葉頃(第1段階)、7世紀末~8世紀初頭頃(第2段階)、8世紀前半頃(第3段階)に分けられます。また、9世紀には火葬骨墓が作られています。
【横穴式石室の部分名称】
前庭部 古墳入口前の土器などを供える場所
羨門(せんもん) 古墳の入り口。閉塞石などで閉じます。
羨道(せんどう) 古墳の外部から玄室に通じる道
玄門(げんもん) 玄室の入り口
玄室(げんしつ) 遺体を安置する古墳主体部の部屋
埋葬人骨と副葬品/古墳玄室にはまれに埋葬人骨が残存しています。直刀や鉄鏃は玄室や羨道に副葬されています。
24号墳(7世紀中葉~後葉)/色麻古墳群成立期の供献土器には、在地産土師器とともに関東系土師器、𤭯(はそう)・提瓶(ていへい)・長頸壷・壷などの須恵器があります。
266号墳(8世紀前葉)/色麻古墳群終末期の供献土器には、坏・短頸壷・甕などの須恵器があります。
3号火葬骨墓(9世紀)/古墳が作られなくなってからも火葬骨を納めた墓が作られています。火葬骨は小児のものです。
在地産須恵器/色麻古墳群の近くには日の出山窯をはじめとする須恵器窯があります。須恵器の中には、関東地方の上野や北陸地方の須恵器を模して作られたものもあります。
在地産大甕/中世には常滑などから大甕は搬入されますが、色麻古墳群の時代の大甕は遠方からは運ばれてはおらず、すべて在地産です。
搬入須恵器/長頸壷・広口壷・坏蓋(つきふた)などの中小型の優品は、東海道の湖西産須恵器が搬入されています。
一里塚遺跡(大和町:7世紀後葉~9世紀初頭)/関東系土師器の出土する住居を含む囲郭集落と黒川郡家正倉院が確認されています。
名生館(みょうだて)官衙遺跡(大崎市:8世紀頃~9世紀後半頃) 存続期間が長いことや主要な建物が瓦葺きであることから、玉造郡を治めた官衙遺跡と考えられます。
一の関遺跡(色麻町:7世紀末~12世紀)/色麻柵あるいは色麻郡家の付属寺院の跡と考えられます。
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