蔵王町曲竹にある鍛冶沢遺跡は、蔵王東麓の青麻山(標高799m)から続くなだらかな丘陵上に営まれています。明治時代から中央の学界に知られ、完全な土偶が出土したことでも著名な遺跡です。

 発掘調査では、遺跡にある巨石の間からは、約2,300 年前の弥生時代前期の再葬墓が発見されました。再葬墓とは、遺体をいったん埋葬し、後に遺骨を回収して土器に納めた墓のことです。

 ここでは、鍛冶沢遺跡の成り立ちから再葬墓が成立する弥生時代までを紹介します。あわせて、鍛冶沢遺跡に関する学史・教育史について振り返ります。
 

 イノシシの幼獣(ウリボウ)を模した注口土器です。正面三角形状の顔面には、大きく突き出した鼻と、大きな目が表現され、尾部に注口が作り出されています。

 側面には曲線状の文様(変形工字文)が配され、竹串状工具による刺突文が多用されています。再葬墓が営まれた弥生時代前期の優品です。