発掘調査いま

98・99次調査 96・97次調査 95次調査 90~94次調査 84~89次調査

第98次・99次調査終了しました/令和5年12月21日

 11月30日をもって、今年度の調査が終了しました。所員・作業員ともに怪我無く、無事に終えることができました。

 第99次調査は、10月14日に開催した現地説明会以降も実施していましたので、今回はその成果をお知らせします。第98次調査の成果については、現地説明会資料をご覧ください。

【掘立柱建物】
 昨年度調査分と合わせて23 個の柱穴を発見し、全体の様相が明らかとなりました(図1・写真1)。東側に廂がつく南北6間、東西3間の南北棟で、規模は南北約14.0m、東西約7.5mです。斜面を東西4m以上、南北約7mにわたって標高の低い南側に削り出し(切土)、整地をして建てられています。

【鍛冶炉】
 掘立柱建物の柱を抜き取り、切土の範囲を東西約10.5mにわたって北側に50cmほど拡げた平坦面に作られています。平坦面は複数回にわたって
嵩上(かさあ)げされており、各面の調査いずれも部分的なものですが、全部で5基見つかりました。嵩上げのたびに鍛冶炉を作ったと考えられます
 鍛冶炉は長径30~50cmほどの楕円形で、壁面が強く焼けており、椀形にくぼんだ底面には
鉄滓(てっさい)(鉄以外の不純物の塊)が残っています。
 また、鍛冶炉の近くでは鍛冶作業に関わるとみられる
土坑(どこう)が2基見つかりました。炉の周りやや土坑には鉄製品や鉄滓などを含む多量の炭が堆積しており、作業で不要となったものを近場に捨てていたとみられます。鉄滓の中には、椀形滓(わんがたさい)(椀形鍛冶滓)があり、100個以上出土しました。

写真1 掘立柱建物全景(上が北)

図1 第99次調査区 平面概略図

【まとめ】
 掘立柱建物および鍛冶炉の年代は、出土した土器から、8世紀末~9世紀前葉頃と考えられます。多賀城の政庁は、780年に伊治公呰麻呂の乱で焼失しています。すぐ北側に位置する鍛冶炉は、政庁の復旧にかかわっていた可能性があります。この場でどのような鍛冶作業が行われていたのか、今後は出土遺物の詳細な分析をして、明らかにしていきたいと思います。
 
 調査では、多くの方々にご協力いただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

(鈴木貴生)

第99次調査現地説明会を開催しました/令和5年10月31日

10月14日(土)に第99次調査の現地説明会を開催しました。あわせて多賀城関連遺跡発掘調査事業として当研究所と大崎市教育委員会が共催で実施した大吉山瓦窯跡第3次発掘調査出土遺物を展示しました。

 当日は計80数名の方々にお越しいただきました。実際に調査現場をご覧頂き、調査成果を公表することで、多賀城跡や多賀城に関連する遺跡に対する興味関心をより持って頂けたかと思います。

写真1 当日の様子

 来場者の方々からはたくさんの質問を頂きました。また、県内外の発掘調査関係者にもお越し頂き、遺構に対する助言を受けました。調査に活かしていきたいと思います。

写真2 質問に答える担当者

写真3 遺物説明の様子

写真4 大吉山瓦窯跡出土遺物の展示

 お越しいただいた、皆様ありがとうございました。
 なお、現地をお見せすることができなかった、第98次調査の成果も当日資料で公表しました。
お知らせ」の現地説明会資料に掲載していますので、ご利用下さい。

 第99次調査は継続中です。掘立柱建物と鍛冶炉の関係などを詳しく調査する予定です。

 (鈴木貴生)

鍛冶工房を発見しました/令和5年9月29日

 お久しぶりです。7月以降、第99次調査を行なっていました。例年と比べ、暑さが厳しく大変な作業でした。こまめに休憩を取りながら、作業を進めていましたが、体力が奪われていくのを実感しました。

さて、99次調査は、96次調査で一部を発見した掘立柱建物の規模・構造を把握し、政庁地区北方の遺構の分布や構成、変遷を明らかにすることを目的として実施しています。

96次調査の時点で、掘立柱建物の内部から多量の鍛冶関連遺物(鉄製品や(てっ)(さい)と呼ばれる不純物の塊)が出土していました。しかし、鍛冶炉は発見しておらず、北側の調査区外に鍛冶工房が存在するものと考えていました。

ところが今回、掘立柱建物の内部で鍛冶炉そのものが見つかったことで、この掘立柱建物は、内部に鍛冶炉を有する鍛冶工房であることが判明しました(写真1・2)。

写真1 第99次調査区(上が北)

写真2 鍛冶炉(西から)

鍛冶炉は掘立柱建物のやや北寄りに位置しており、今のところ3基発見しています。まだ精査していないので詳細は不明です。

出土した鉄滓のうち、特徴的なものに鍛冶炉の炉底に形成される椀形(わんがた)(さい)(椀形鍛冶滓)があります(写真3)。鍛冶炉底や木炭層中に溶解した滓や半溶解の含鉄の滓が椀形に形成されたもので、その形状は鍛冶炉の底面付近の形をしています。つまり、椀形滓が1個あるということは、鍛冶炉で少なくとも1回の鍛冶作業をしていることになります。

今回はこの椀形滓が100個以上(現在整理中のため、速報値)出土しています。これまでに城内で見つかっている鍛冶工房のなかでも最大級と考えられます。

写真3 椀形滓


 出土した土器から、鍛冶工房は政庁第Ⅲ期(780~869年)の中でも古い時期のものと考えられます。多賀城の政庁は、780年に
伊治公(これはりのきみ)(あざ)麻呂(まろ)の乱で焼失しています。すぐ北側に位置する鍛冶工房は、政庁の復興にかかわる施設であった可能性があります。

 第99次調査の成果については、10月14日(土)に現地説明会を実施する予定です。詳細等決まりましたら、当ホームページでお知らせします。

 調査も残すところあと1ヶ月!第98次調査と合わせて、ラストスパートをかけたいと思います。

(鈴木貴生)


水との戦いです/ 令和5年6月29日

 98次調査を開始して、早1ヵ月が経ちました。まず、東西方向約60mの調査区を設定し、重機と人力で表土と第10次調査時の埋め戻し土の除去を行いました(写真1・2)。現地表面から深さが2m程あるため、安全帯(段)を設けて掘削しました。が、周囲より深く掘り下げたことにより、雨が降ると雨水が全て流れ込んでくる状況となりました。また、地下水の湧水も激しく、常時排水用ポンプ4台がフル稼働状態です。

写真1 重機による表土剥ぎ(西から)


写真2 作業風景

 この1ヵ月はなかなか大変な作業でしたが、作業員さんのお力により、第10次調査で発見した材木塀と櫓の柱穴を再検出することができました(写真3)。
 ビニール袋が掛かっている部分が第Ⅳ期の材木塀になります。ビニールの下には、木材が残っています。緑色の線が第Ⅲ期の材木塀、青色の線が第Ⅲ期の櫓の柱穴になります。53年前、先輩方が調査し、検討した遺構を目にすることができ、感慨深いものがあります。


写真3 材木塀・櫓の再検出(東から)

 今のところ、目的とする第Ⅰ・Ⅱ期の外郭区画施設は発見していませんが、今後の調査にご期待ください。第98次調査は一旦中断し、7月初旬からは、第99次調査を行います。これから、夏本番!体調管理と安全対策を行いながら、調査を進めていきたいと思います。

(鈴木貴生)


第98・99次調査
を開始します。/令和5年5月9日

 5月15日から今年度の発掘調査を開始します。
調査地点は2カ所あり、1カ所目(第98次調査)は、多賀城外郭西辺を調査した第10次調査区に一部重複する部分とその東側(図1)、2カ所目(第99次調査)は、政庁地区北方を調査した第96次調査B区と第95次調査北区の間の未調査部分です(図1・2)。

図1 第98・99次調査区の位置

 
 第98次調査は、多賀城第Ⅰ期(724~762年)・Ⅱ期(762~780年)の外郭西辺区画施設の位置・構造を明らかにすることを目的としています。外郭西辺の調査は、これまでに第10次(1970年)、第17次(1972年)、第33次(1978年)、第46・47次(1984年)、第93次(2019年)の6回行っています(図1)。

 これまでの調査により、外郭西辺区画施設は、①第Ⅱ期に西辺の北端と南端の丘陵部に築地塀が造られること、②第Ⅲ期(780~869年)に西辺中央の低地部に材木塀が造られたこと、③材木塀は造り直され、第Ⅳ期(869~11世紀中頃)の10世紀前葉~中頃まで使われていたことなどが明らかになっています。

 今年度調査を行う地点は第10次調査でも調査を実施しており、第Ⅲ・Ⅳ期の材木塀と第Ⅲ期の材木塀に伴うと考えられる櫓を発見しました。しかしながら、第Ⅰ・Ⅱ期の外郭西辺区画施設の痕跡を見つけることはできませんでした。
 そこで今回は、第10次調査区と一部重複する形で調査区を設定し、東側に調査範囲を拡張することで第Ⅰ・Ⅱ期外郭西辺区画施設の位置や構造を確認したいと考えています(写真1)。 

写真1 第98次調査区予定範囲(西から)



 第99次調査の目的は、第96次調査で一部を発見した掘立柱建物の規模・構造を把握し、政庁地区北方の遺構の分布や構成、変遷を明らかにすることです。過去の調査成果から、第Ⅲ期以降に政庁北側のエリアが活発に利用されることが明らかとなっています(詳細は当ホームページ第94~96次調査分参照)。今年度はさらに情報を集めて検討を行ないたいと思います。

 

図2 第99次調査区(予定)と周辺の調査状況

 調査は10月末まで行う予定で、10月には現地説明会を開催したいと考えています。ご期待ください。

 (鈴木貴生)


第96次調査現地説明会を開催しました/ 令和4年9月21日

 9月17日(土)に第96次調査の現地説明会を開催しました。あわせて多賀城関連遺跡発掘調査事業として当研究所と大崎市教育委員会が共催で実施した大吉山瓦窯跡第2次発掘調査で出土した遺物を展示しました。大吉山瓦窯跡の現地説明会は7月23日(土)に開催する予定でしたが、大雨の影響で中止となっていました。得られた調査成果をどのような形であれ、一般の方々に公表することは、発掘調査に携わる者の責務の一つと考えています。
 
 当日は計80名の方々にお越しいただきました。実際に調査現場をご覧頂き、調査成果を公表することで、多賀城跡や多賀城に関連する遺跡に対する興味関心をより持って頂けたかと思います。

 今回の主な調査成果は、①規模は未確定ながらも掘立柱建物の存在を確認したこと、②沢の部分には竪穴建物が分布すること、③政庁第Ⅲ期以降に政庁北側のエリアを活発に利用することを改めて確認したこと、④掘立柱建物内から、鍛冶関連遺物が多量に出土したことから、近隣に鍛冶工房の存在が想定されること、の4つになります。

 詳細は、「お知らせ」の現地説明会資料に掲載していますので、ご利用下さい。

 

写真1 現地説明会の様子

写真2 大吉山瓦窯跡出土の遺物展示

(鈴木貴生)


調査も中盤です/ 令和4年7月29日

 今年度の調査を開始して、早3ヶ月が経ちました。最近の気温は30度超と厳しい暑さが続き、体力が削られていくのを実感しています。休憩をこまめに取り、調査を続けています。

 第96次調査A区は、第95次調査区の東隣に設定しました。以前発見していた遺構たちが、再び姿を現し、今回の調査でその続きを検出しました(写真1)。調査の結果、東半は近世以降に削られていることが明らかとなりました。 一部を掘り下げたところ、新たに竪穴建物1棟が見つかりました。竪穴建物は南北約3m、東西約2.5mの長方形で、床には火を炊いた炉があります(写真2)。年代は8~9世紀と考えられます。

写真1 遺構検出状況(南から撮影)

写真2 竪穴建物(東から撮影)

 B区は遺構の掘り下げを一部開始し、新たに竪穴遺構1基、柱穴が2個見つかりました。そして5月にお伝えしていた竪穴建物①・②についての見解を修正しました。

 まず、竪穴建物①としていたものは、竪穴建物②が廃絶し、土で埋まっていく過程で生じた凹みに最終的に溜まった土と判断しました【竪穴建物①→抹消】。

 そして竪穴建物②は建物ではなく、新たに発見した南北方向の柱列を造る際に、地山を削り込んだ切土造成の可能性が出てきました【竪穴建物②→切土造成】 (写真3)。

 柱列を構成する柱穴は一辺50~80cmの方形です。柱穴と柱穴の距離は約2.4mあり、掘立柱建物の可能性があります。

 今回新たに見つかった竪穴遺構は、一部が調査区の外に延びているため、全体の大きさ・カマドの有無は不明です(写真4)。

 今後調査区西側を広げて柱穴の有無の確認、竪穴遺構のカマドの有無などを調査する予定です。

写真3 B区 柱穴・切土検出状況(北西から撮影)

写真4 B区 竪穴遺構検出状況(西から撮影)

8月は熱中症対策のため、現場作業を一旦中断します。これまでに出土した遺物や図面の整理作業を進め、調査年報作成に備えます。

(鈴木貴生)

 


第97次調査終了しました /令和4年7月19日

 第97次調査は、第Ⅰ期外郭区画施設を確認することを主目的としていました(4月20日の記事参照)。調査区は南北2ヶ所に設定し、ともに現地表面から2mほど掘り下げを行いました。
 結果、北区では、南北方向に延びる溝跡1条を検出しました(写真1)。湧水が激しく、崩落の恐れがあるため、これ以上の調査は行なわないことにしました。

写真1 遺構検出状況(北から撮影)


 一方、南区は地山まで到達しました。地山直上には、十和田a火山灰(10世紀前葉頃に降灰)が径3~5cmくらいの塊で含まれる土が堆積していました。これより古い時期の土が見当たらないため、この地点は10世紀前葉以降に大規模な削平を受けたと考えられます。そのため、第Ⅰ期外郭区画施設の痕跡は残っていないと判断しました(写真2)。

 第97次調査はこれで終了となりました。今後は第Ⅰ期南門の西側については、10世紀前葉以降の地形改変などを検討していく必要があり、新たな課題が生まれました。

写真2 調査状況(南から撮影)

(鈴木貴生)



遺構検出作業を進めています(第96次調査)/令和4年5月31日

 今年度の調査を開始して、もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。気温は20度前後でからっとしており、絶好の調査日和でした。
 5月は主に第96次調査区で遺構検出作業を行いました。今回はB区(4月20日更新分図2の東側の赤塗り部分)の遺構検出作業の簡単な流れを説明したいと思います。

 写真1は重機で作業した直後、写真2は人力で土を削っているところです。何回も同じ作業を繰り返していくと、写真3のように、徐々に遺構面(奈良・平安時代の地面)が綺麗になり、なんとなく土の色の違いが見えてきます。このようになるまでは、かなり体力を使い、時間もかかります。

写真1 表土除去後(南から撮影)

写真2 人力で削っている様子(北西から撮影)

写真3 綺麗になってきた様子。カゴには出土した土器や瓦が入っています。(南東から撮影)


 さらに作業を進め、土の色の違い、含まれているものの違いなどに注意を払い、所員同士で意見を出し合いながら遺構を見つけていきます。遺構の形や大きさなどから、遺構の種類(建物跡なのか柱穴なのか)を決めていきます。また、複数の遺構が重複している(新しい遺構が古い遺構を壊して造られている)場合は、どちらの遺構が新しいのかを判断していきます。

遺構検出作業は発掘調査のなかでは、難しい作業の一つです。ここで遺構数・種類・重複関係を見誤ると今後の調査方針や期間に影響を及ぼしてしまいます。その分おもしろく、先輩所員と意見が一致した時は、うれしく感じます。意見が違ったら、ひたすら削り直し遺構検出作業をやり直します。

 そして、遺構の検出が終了した様子が、写真4です。結果、竪穴建物跡2棟、溝跡1条などを見つけました。重複関係は竪穴建物①と竪穴建物②、竪穴建物②と溝跡が重複しており、竪穴建物①と溝跡は竪穴建物②より新しいと判断しました(竪穴建物②を表す青線は、竪穴建物①と溝跡に壊されており、途切れている)。竪穴建物①と溝跡は重複関係がなく、どちらが新しいのかは今のところ分かっていません。それぞれの遺構の時期はまだ判明していませんが、今後の調査で明らかにしていきたいと思います。

写真4 遺構検出状況(南から撮影)

 現在第96次調査A区(4月20日更新分図2の西側の赤塗り部分)についても遺構検出作業を進めています。第97次調査は重機による表土除去等が終わったところです。こちらは湧水が激しく遺構検出作業は難航しそうです。これからどのような遺構が姿を現すのか、楽しみです。

 これから暑くなり、調査を行うには大変な時期になりますが、体調管理と安全管理に気をつけながら、調査を進めていきます。 

(鈴木貴生)

第96・97次調査を開始します /令和4年4月20日

4月25日から今年度の発掘調査を開始します。調査地点は2カ所あり、1カ所目(第96次調査)は、昨年度調査した第95次調査区に一部重複する部分とその東側の未調査部分(図1・2)、2カ所目(第97次調査)は、政庁第Ⅰ期外郭南門(SB2776門跡)のすぐ西側の部分です(図1・3)。

図1 第96・97次調査区の位置

 
 第96次調査の目的は、政庁地区北方の遺構の分布や構成,変遷を確認することです。第95次調査では、大型の掘立柱建物を2棟発見しており、ともに平安時代のものと考えられます。この建物の東側は沢に向かって下っていく地形で、この部分にどのような遺構が分布するのか、さらに情報を集めて検討を行いたいと考えています。

図2 第96次調査区(予定)と周辺の調査状況


 第97次調査の目的は、第Ⅰ期外郭南門の西脇に取り付く外郭区画施設(外郭南辺)の位置や構造を確認することです。

 第Ⅰ期外郭南門の東西両側には、この時期の外郭区画施設が見つかっており、これまで、南門から東側約370mと南門から西側約100m付近まで直線的に延びることを確認しています。また、この区画施設は丘陵部では築地塀ないし土塀、低地部では材木塀とその構造が異なることも明らかとなっています。

 今年度調査を行う部分は第79・87次調査(2007・2014年)を実施していますが、外郭区画施設の痕跡を発見することはできませんでした。そこで今回は、第79・87次調査区と一部重複する形で調査区を設定し、北側に調査範囲を拡張することで外郭区画施設の位置や構造を確認したいと考えています。

図3 第97次調査区(予定)と周辺の調査状況

調査は9月末まで行う予定で、7月後半には現地説明会を開催したいと考えています。これから暑くなりますが、調査員・作業員ともに体調管理と安全に気をつけて調査を行ないたいと思います。

(鈴木貴生)

第95次調査:発掘調査が終了しました /令和3年12月28日

現地説明会終了後も、図面作成などを進めておりました。
それらの作業も12月上旬には終了し、今年度の調査区を埋め戻しました。

  
埋め戻しの様子

検出した遺構を土嚢で養生した上で、重機で埋め戻しています(写真左)。
埋め戻しも12月15日に完了し、これをもって今年度の発掘調査が無事終了しました(写真右)。

今年度の調査区の東側には沢状の地形が広がっていますが、来年度はこの箇所にどのように遺構が分布しているか、
調査していく予定です。
まずは今回の成果を詳しく分析し、次の調査につなげていきたいと思います。

最後になりましたが、調査では多くの方々にご協力を頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。

(矢内雅之)



第95次調査:現地説明会を開催しました  /令和3年11月13日

10月23日(土)に第95次調査の現地説明会を開催しました。

コロナ禍の影響から、昨今はイベントを開催できない状況が続いてきましたが、
新規感染者数の減少などから、10月の現地説明会を無事開催できる運びとなりました。





当日は65名の方にお越しいただきました。
現地で遺構や調査成果をご覧になっていただけることの喜びを、改めて感じた一日でもありました。

お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。

さて、95次調査では以下のような成果が得られました。

・平安時代と考えられる掘立柱建物跡を2棟検出しました(下写真)。
・掘立柱建物1は廂をもち、多賀城内で確認されている平安時代以降の掘立柱建物では、政庁を除くと2番目に大きいことがわかりました。
・さらに、掘立柱建物1は政庁の建物配置計画(9m方眼)を踏襲して建てられていることから、政庁との密接な関係がうかがえます。


95調査区と掘立柱建物(右が北)

詳しく知りたい方は当日の資料を
「お知らせ」のページで公開しておりますので、あわせてご覧ください。

 (矢内雅之)



第95次調査:新たな掘立柱建物を発見 /令和3年9月30日

暑さ対策で中断していた多賀城跡の発掘調査を、9月1日から再開しました。

9月6日~16日には、当研究所と連携している東北大学の文学部・文学研究科の学生さんたちが95次調査現場で
「考古学実習」を行い、現場が活気づきました。これを機に調査を大いに進めていきたいところです。


測量風景
トータルステーションを用いて調査区内に3m間隔のグリッド(方眼)を設定している様子。
このグリッドは今後の遺構図面の作成や遺物の取り上げに必須となります。



遺構の掘り下げ・検出作業

所長の指導のもと、自然流路に堆積した土を取り除いていきます。
この付近では柱穴がいくつもみつかっており、流路の下にもこうした柱穴が隠れている可能性があります。
土の違いを見極め、考えながら土を掘り下げていきます。


果たして、自然流路の下から柱穴がみつかりました。柱を据えた掘方は1辺1m以上で、新旧2時期あるようです。



掘立柱建物の全景

柱穴は昨年の調査でも確認しており、2棟の掘立柱建物と1条の柱列とみていました。
ところが、今回の調査で新たにみつかった柱穴の配置から、これらがひとつの掘立柱建物を構成していたことが明らかとなりました。

南部で新たに検出した建物は、南北5間、東西間2の身舎(もや)の北側と東側に廂(ひさし)がつく構造と考えられます。
先月紹介した北部のものとあわせて、今年の調査では、2棟の大型掘立柱建物を検出したことになります。
この2棟が同時に存在していたのか否か、またその広大な空間では果たして何が行われていたのか、現時点では明らかでありません。
その謎を究明する手がかりが得られることを期待しつつ、今後の調査に取り組んでいきたいと思います。

 (矢内雅之)



95次調査:掘立柱建物を発見! /令和3年7月28日


6月から開始した発掘調査も、もう2ヶ月が過ぎようとしています。

今年は梅雨の期間が短くて昨年ほど雨の影響を受けず、順調に調査が進んでいます。

第95次調査では、北部と南部の2ヶ所の調査区を設定しています。


第95次調査区の航空写真
(北東から。シートがかかっていないのが北部の調査区、シートがかかっているのが南部の調査区)




6月は主に、北部の調査を行いました。

ここでは、桁行6間、梁行2間の大型の掘立柱建物を1棟発見しました。

柱を据える穴(柱穴)は、一辺1m以上あり、大きいものでは1.5m程のものもあります。

年代はまだ分かりませんが、一度建て替えられているようです。


発見した掘立柱建物跡(南東から。南西部以外の柱穴14個が見つかりました



7月は南部の調査を行っています。

昨年度の第94次調査で見つけていた掘立柱建物1・2や柱列(令和3年5月31日の「発掘調査いま」をご参照ください)
の続きとみられる柱穴を、複数確認しています。

これらがどのくらいの規模でどのような構造の建物になるか、ワクワクしながら調査を進めている最中です。


南部の調査区の作業の様子


8月は暑さ対策のため作業を休止し、9月から再開する予定です。

9月には、北部・南部の調査区で発見した掘立柱建物について年代など詳細に検討していきたいと思っています。

そして、10月後半には現地説明会を行う予定で考えています。

政庁のすぐ北側にどのような建物が建っていたのか、しっかり説明できるように、調査を進めていきたいと思います。

(村上裕次)




第95次調査を開始します。  /令和3年5月31日
 

 6月1日から今年度の調査を開始します。

 調査地点は、昨年度調査した第94次調査区と一部重複する部分と、その東・北側の未調査部分です(図1)。



 図1 第95次調査区(予定)と周辺の調査の状況

 
 調査の目的は、政庁北側隣接地の遺構の分布状況を把握することと内容を確認することです。

第94次調査で一部を検出するに留めていた掘立柱建物1・2、柱列、竪穴建物の全体確認と年代把握も行なう予定です
(写真1)。

 掘立柱建物1は、柱穴が大きいもので一辺1.6m、柱痕跡が径30cmあり、大型の建物の可能性が高いと予想されます。

 また、この建物の西辺柱列は、政庁西辺築地塀の北側延長上に位置しており(図1・写真1の青色の線)、計画的に配置された可能性があります。

 これまでの調査成果を合わせて、政庁のすぐ北側がどのように使われていたのか、検討していきたいと思っています。調査成果をご期待ください。


 写真1 第94次調査A区(上が北)

 調査は10月末までを予定しています。調査員・作業員ともに体調管理と安全に気をつけて調査を行ないたいと思います。

 (鈴木貴生)