発掘調査いま

第94次調査:現地説明会を開催しました  /令和2年10月21日

10月17日(土)に第94次調査の現地説明会を開催しました。





午前中は小雨が降るなどあいにくの天候でしたが、午前と午後合わせて109名の方にお越しいただきました。

今回の調査区はあまり多くの人数が入れない広さでしたので、密集を避けるために、来場した順に最大20人ずつ説明していくという形をとりました。 

新たな試みでいろいろと反省点もありましたが、今後に生かしていきたいと思います。





お越しいただいた皆様、ありがとうございました。

なお、説明会資料は「お知らせ」のページで公開しております。

(初鹿野博之)



第94次調査:B区の調査と考古学実習  /令和2年10月14日

彼岸を過ぎたら一気に秋らしくなってきました。今回は、先月の航空写真でも紹介したB区の調査についてです。


B区調査のようす

 B区は4m×10mほどの狭い調査区を2か所設定しました。南向きの斜面で、古代の層がいくつも積み重なっている状況でしたので、1層ずつ掘り下げていったところ、多数の土器や瓦にまじって、白磁や硯なども出土しました。また、竪穴建物、柱穴、溝などの遺構も確認されました。


 土器と硯の出土状況 

写真の上が完全な形で出土した土器、下が硯の破片です。硯が出土すると、このあたりに文書を書く役人がいたんだなぁということがうかがえます。まさしく古代の役所らしい出土遺物といえます。

 また、B区の調査には学生さんも参加しました。

 多賀城跡調査研究所は、東北大学大学院文学研究科と研究交流の協定を結んでおり、毎年、多賀城跡をフィールドとした「文化財科学研究実習」を行っています。今年も9月14日から10月6日までの期間に実施しました。


 測量のようす


 
遺構の掘り下げ
 

 学生さんたちも最初は慣れないようすでしたが、頑張って掘り進み、最後は図面作成まで経験してもらうことができました。また、休憩時間には各自の出身地の話題に花がさいていました。今年は海外からの留学生も多く参加していましたので、国際色も豊かでした。古代の多賀城でもいろいろな土地から集まった人々が、それぞれのお国自慢で盛り上がっていたのかなぁと想像した次第です。

 

さて、今年度の調査も最終盤です。10月17日(土)にはA区を対象に現地説明会を実施します。詳細は「お知らせ」のページをご覧ください。

(初鹿野博之)



第94次調査:航空写真  /令和2年9月17日

長雨の後は連日30度以上、体にこたえる暑さが続きました。

そんな中、ドローンを使って空撮をしましたので、今回はその写真を使って調査成果を簡単にご説明します。

 

政庁を南側上空から撮影した写真です。

調査地点(政庁地区北方)は写真中央に黄色で示した地点です。北側の木立の陰には六月坂地区があり、北東側(写真右奥)には大畑地区と東門が見えます。

 

次は調査地点を真上からみた写真(上が北)です。

政庁北辺から北側に張り出すように政庁北方建物が見つかっていますが、今回の調査地点はそれより北側で、西側のA区と東側のB区に分かれています。建物跡が見つかっているのはA区で、東側のB区についてはこれから本格的に調査予定です。

 

A区を拡大した写真です。

掘立柱建物は2棟見つかっています。先月の写真で拡張部分②とした地点に「建物1」、拡張部分①に「建物2」があります。柱穴は建物1で4個、建物2で2個検出しました。

建物1と2は柱穴の規模や方向が類似しているため、同一の建物だった可能性があり、その場合は南北約18mの大型の建物となります。また、建物2の東側には、南北方向の小型の柱列が見つかっており、何らかの関連する施設かもしれません。

 そのほかに、建物2の南側には古代の土坑(どこう=人工的に掘られた穴)が見つかりました。出土した遺物には、多賀城終末期以降の11世紀後半とみられる土器や白磁などが含まれます。

 建物の構造や年代など、気になる点はいろいろありますが、残念ながら今年はこれ以上調査区を広げたり、柱穴を掘り下げたりすることはしません。来年度もこの地点を調査するため、建物1と2の間も調査して全体像を明らかにしたいと思います。続きは来年度のお楽しみということで。

 なお、今年度の調査成果について10月に現地説明会を開催する予定です。現場の状況をもう少し詳しく知りたい方はぜひ足をお運びください。詳細が決まりましたらホームページでもお知らせします。

(初鹿野 博之)



第94次調査:雨-雨-水汲み-雨-水汲み  /令和2年8月7日

今年の7月は長雨でした。

 

調査区は地表面から20cm~1mくらい掘り下げているため,周辺に降った雨が集まってきてしまいます。

毎朝ポンプをフル稼働させて溜まった水を抜いてから調査しますが,翌日にはまた雨が降って水が溜まって・・・
という繰り返しで,なかなか思うように捗りません。

 

そんななかですが,雨の合間をぬって,これまでに柱穴が見つかっていた調査区2か所を拡張しました。

 

拡張部分①(南から)

前回7月3日更新の際に紹介した柱穴のうち,大型の柱穴が見つかっていた部分を西側に拡張しました。柱穴の全体が検出されたほか,西側から同規模の柱穴が新たに2つ見つかりました。

 

 

拡張部分②(東から)

先ほどの写真から北側に15mほどの地点です。こちらも拡張して,約3m間隔で4個の柱穴が並ぶことが分かりました。特に南側の柱穴3と柱穴4は一辺が1.5mに及ぶかなり大型の柱穴であることが分かってきました。

 

今回は建物の全体像を明らかにするまでには至っていませんが,柱穴や柱間の大きさから,かなりの規模の建物があったことが推定されます。

 

梅雨も明けましたので,お盆明けからは平面図の作成や航空写真の撮影などを行っていく予定です。

柱穴の位置関係など,もう少し詳しくご説明できればと思います。

(初鹿野 博之)



第94次調査:遺構の検出を進めています  /令和2年7月3日


作業のようす(北から)


 6月は遺構の検出作業を進めました。重機で表土を除去した後に、人力で丁寧に削ると、埋まっている土の違いから遺構が見えてきます。梅雨時の鬱陶しい暑さの中ですが、作業員の皆さんには頑張っていただいています。



層の分布(東から)

今回の調査地点には,以前は住宅があり,ほぼ平坦な地形に造成されていました。写真右側に見える黄色い範囲は,宅地などを造成した際に岩盤まで削られてしまっています。これより上の土には,近現代の茶碗や瓦,プラスチック製品などが含まれています。一方、写真左側の茶色い土の部分は、もともとの地形が低かったため、古い層が削られずに残っていました。こうした層からは奈良・平安時代の土器や瓦が多数出てきます。

今回の調査地点は予想以上に削られた範囲が広かったため、古代の遺構がほとんど残っていないのでは・・・と心配したのですが,丁寧に調査していくと,いくつかの遺構が見えてきました。



柱穴検出の状況(南から)

写真左側には,一辺1mくらいの大きさの穴が2つ隣り合って見つかっています。写真右側には,それよりやや小さい60cmくらいの方形の穴が,約2.5m間隔で南北方向に並んでいます。どちらも近現代の穴や溝の土とは特徴が異なっており,古代の柱穴の可能性が高いとみています。

大きさの異なる柱穴が複数見つかっているということは,この辺りに何らかの建物跡が,しかも複数棟あったと推定されます。これから調査区を広げるなどして,建物の規模や年代を推定していきたいと思います。

今後の展開にご期待ください。

(初鹿野 博之)

第94次調査が始まりました。  /令和2年6月1日

 
5月21日から今年度の発掘調査が始まりました。今回の調査地点は政庁の北側です。


調査地点図


南側上空からみた今回の調査対象地と31・32次調査区(おおよその範囲)

 

昭和52・53年度に行われた第31・32次調査では、政庁北辺築地のすぐ北側で第IV期(869~11世紀前半頃)の掘立柱建物跡が見つかっており、3棟の建物が政庁に向かって開く「コ」の字形に配置されていたことが分かっています。また、その北側は沢に向かって落ち込んでいきますが、斜面を盛土整地してつくられたやや小規模な掘立柱建物跡が3棟(Ⅲ~Ⅳ期)、竪穴建物跡が3棟(Ⅲ期)見つかっています。

 

今回の調査地点は、31・32次調査区の北西側にあたり、上記のような政庁北方の遺構がどこまで分布するのか、どのように変遷するのかを確認したいと考えています。



重機を使って現代の表土や盛土を慎重に取り除きます。写真奥が政庁です(北から撮影)


表土を除去した後は、人力で丁寧に削って遺構を探します(北から撮影)


「3密」を避けて休憩しています。


 調査は10月末までを予定しています。これから暑くなりますが、安全に気をつけて調査を進めたいと思います。状況はこのページなどで随時ご報告していきます。

(初鹿野 博之



今年度の調査が終了しました。  /令和2年4月3日

 
 5月22日に開始した第93次調査が3月27日に終了しました。現場作業は10月の台風19号による倒木被害の影響で、一旦中断
していましたが、3月2日に再開し、残りの作業を終わらせることができました。
 職員、作業員ともに怪我なく無事に終えることができ安堵しています。




                           埋め戻しの様子



 今年度の調査の主な成果は、平安時代の門(西北門と命名)と外郭西辺(築地塀・材木塀)を確認したことです。西北門は掘立式と礎石式の八脚門で、前者から後者へ建替えられていました。外郭西辺は築地塀で3時期認められました。
 作業再開後の調査成果として、掘立式の西北門より古い外郭西辺の材木塀を確認しました。材木塀の平面形は「L」字になっています。木材を立てた後に、それらを支えるために埋め戻した土には、焼けた土や炭が入っていました。類似する遺構は、奈良時代の外郭東門を調査した、1987・1988年度の第53・54次調査でも見つかっており、その関連が注目されます。下の写真の赤い線が材木塀です。





                       掘立式の柱穴と材木塀(南から)


 これからは年報刊行に向けて、図面や写真、遺物の整理などを行っていきます。発掘調査は、年報を刊行して一旦終了となります。時間は限られていますが、全力で取り組んでいきたいと思います。

 最後になりましたが、調査では多くの方々にご協力を頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。
                                                    (下山貴生)



現地説明会を行いました。  /令和元年10月31日


 「お知らせ」で告知しましたように、10月14日(月・祝日)に現地説明会を開催しました。
 当日は、台風19号の影響により現地での説明会は行えず、急遽、東北歴史博物館内での調査成果の公表に変更しました。それにもかかわらず、90人近くの方々に足を運んで頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。

 実際に遺跡をご覧になって頂くことができず残念でしたが、どのような形であれ、得られた調査成果を一般の方々に公表するのは、発掘調査に携わる者の責務の一つと考えていますので、今後も継続していきます。

 今回の調査の主な成果は、平安時代の門と外郭西辺を確認しました。門は掘立式と礎石式の八脚門で、前者から後者へ建て替えられていました。外郭西辺は築地塀で3時期認められました。
 
 詳細は、「お知らせ」の現地説明会資料に掲載していますので、ご利用下さい。




                現地説明会の様子(東北歴史博物館内)


 現地説明会後の調査成果として、掘立式の門も建て替えられている可能性がでてきました。下の写真は、礎石式八脚門の礎石
据え穴と掘立式八脚門の柱穴が重複しているものです。赤い線が礎石式の門の礎石据え穴、水色の線が掘立式の門の柱穴、緑色の線が古い柱穴です。

 残りの作業は、掘立式八脚門より古い門の検討と図面の作成・断面写真撮影などです。今後、進めていきたいと思います。


 
                 
                 礎石据え穴と柱穴の断面(北から撮影)


 なお、調査は10月後半までの予定でしたが、台風の影響で調査区内の木が倒れていまい、調査を進めることができなくなって
しまいました。撤去までに時間が掛かるため、現場は一旦、中断となります。倒木の撤去後に、現場を再開し、残りの作業を終わらせる予定です。
                                                   (下山 貴生)

 

考古学実習を行いました。  /令和元年8月30日
 
 多賀城跡調査研究所は、東北大学の文学部文学研究科考古学研究室と研究交流の協定を結んでおり、毎年、多賀城跡をフィールド
とした「文化財科学研究実習」を行っています。
 今年は、8月20日から8月29日までの期間に実施しました。



               東北歴史博物館内でのオリエンテーションの様子

 実習では、発掘調査、測量、遺物整理を行いました。

 発掘調査では、93次調査と現状変更に伴う試掘・確認調査に参加しました。発掘の基本である新しい層から順に堀
り下げていく層位的調査を実践し、土層の観察の仕方を学んでもらいました。
 最初は調査の方法に慣れず、戸惑っている様子でしたが、実習が終わる頃には、積極的に作業を進める姿が見られま
した。




                      93次発掘調査の様子




                      試掘・確認調査の様子

 測量では、機器の設置から操作まで実践し、基準点測量のほか、過去の調査で見つかっている外郭施設西辺の材木
塀跡の位置を座標値をもとに現地に再設する「杭打ち測量」を行いました。




                        測量の様子

 遺物整理では、土器の接合・遺物洗い・遺物観察を行いました。担当調査員が遺物観察の視点を説明し、実際に手
に取って確認してもらいました。


                       
                      遺物観察の様子


 今回の実習では、調査の基本となる一連の作業を実践してもらいました。この経験を活かして、より良い調査の方
法を考えていってもらえるとうれしく思います。

 多賀城跡の研究調査に50年関わってきた当研究所として、これからを担う若い人材の育成の一端に多賀城跡を通して
関わることは、大切な役割の1つと考えています。
 今後も、蓄積された当研究所の技術と経験、それに基づく専門性を様々なかたちで活かしていきたいと思います。

                                                (下山 貴生)


建物跡が見つかりました!! /令和元年7月31日

 93次調査が始まって2ヶ月が立ちました。調査開始当初に比べると過ごしやすい気温の日が続いていましたが、
先日から厳しい暑さとなっています。

 さて、前回の更新のなかで調査を行う場所の表土除去を行ったと書きました。今月はその部分の遺構検出を行い
ました。
 遺構検出とは道具を使って、丁寧に土を削り土の色や堅さ、含有物の違いなどに着目して遺構を見つける作業で、
発掘調査のなかでも難しい作業の一つです。判断を誤ってしまうと今後の作業に大きな影響を与えてしまいますの
で、慎重に行います。

 その結果、掘立柱建物跡と礎石建物跡が見つかり、掘立柱建物から礎石建物へと変遷していることが明らかとな
りました。

 掘立柱建物跡の柱穴は長辺1m前後の隅丸方形です。下の写真の作業員さんが立っている所に柱穴があります。



             掘立柱建物跡(西から撮影:ドローンによる空撮)


 礎石の据穴(礎石を置くために掘った穴)は径1m前後の円形です。調査前から見えていた大きな石(下の写真右側
の石)は、当時あった場所から動いていますが、建物跡の礎石の可能性が高くなりました。




              礎石建物跡(西から撮影:ドローンによる空撮)

 これらが、古代のいつの時期のどのような性格の建物だったのか。今後、解明していきたいと思います。

 一方、区画施設については今のところはっきりとわかっていません。引き続き調査を行い、明らかにしていきます。
 
 これから夏本番を迎え、調査を行うには大変な時期になりますが、調査員・作業員ともに体調に気をつけながら調査
を進めていきたいと思います。
                                               (下山 貴生)




第93次発掘調査開始 /令和元年6月11日

 5月27日から調査が始まりました。まだ6月だというのに、厳しい暑さです。

 最初に調査を行う場所の竹・木を伐採しました。安全な作業を行うための環境整備です。
次に調査を行う場所を設定し、人力と重機で表土除去を行いました。表土からは瓦が、たくさん出土しました。



              人力で表土を掘削している様子(南西から撮影)


              
              重機で表土を掘削している様子(西から撮影)


 研究所の所員で意見を出し合いながら、調査を行っています。


                       
                       検討の様子

 厳しい暑さが続きますので、安全面に気をつけた調査を心がけていきます。
来週から本格的に遺構を探します。どのような遺構・遺物が姿を現すのか、乞うご期待!

                                             (下山 貴生)

第93次発掘調査が始まります。 /令和元年5月14日

 
5月27日から、今年の発掘調査を開始します。遺跡北西部の丸山地区で、多賀城外郭西辺を調査する予定です。





外郭西辺の調査については、これまでに第10次(1970年)、第17次(1972年)、第46・47次(1984年)の4回行っています(調査箇所は上の図参照)。

その成果によれば、第Ⅱ期(762~780年)に西辺の北端と南端にあたる丘陵部には、築地塀が造られ、第Ⅲ期(780~869年)には西辺中央の低地部に材木塀が造られたことがわかりました。それらは、改修され第Ⅳ期(869~11世紀中葉)まで使われていました。

このように西辺の区画施設は、丘陵部では築地塀、低地部では材木塀とその構造が異なることが明らかとなりました。一方で、第Ⅰ期(724~762年)、及び低地部のⅡ期の区画施設の状況、また丘陵部と低地部でのとりつき方が、よく分かっていません。

そこで今年の調査では、さらに西辺の情報を集めて、区画施設の時期や構造の解明、礎石の可能性のある大きな石が現状でも見られることから、付属施設の存在の有無を確認したいと思います。

  調査は10月後半まで行う予定で、10月中頃には現地説明会を開催したいと考えています。乞うご期待。

                                                   (下山 貴生)




今年度の発掘調査が終了しました。 /平成30年11月29日


 8月21日に開始した第92次調査が11月28日に終了しました。

 深く掘り下げた調査区でしたが、職員、作業員ともに怪我なく無事に終えることができたことに安堵しています。



                                      埋め戻しのようす

 今年度は、期間や面積の点で小規模な調査ではありましたが、それでも遺物を中心として貴重な成果が得られました。

 いよいよこれから本格的に整理作業を進めていきます。年度末まで時間は限られていますが、得られた多くの情報をしっかり検討し、遺物・遺構から今回の調査の全体像をできるだけ詳細に、そして分かりやすくまとめていければと思っています。

 最後になりましたが、調査では多賀城市や近隣の住民の皆さんなど、多くの方々にご協力をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
                                                  (村上 裕次)


調査も最終盤に入りました。 /平成30年11月14日

 
 113日の現地説明会も無事終わり、調査もいよいよ大詰めです。

 今回の調査の主な成果は、ホームページ内にある「お知らせ」の現地説明会資料に掲載しています。目的とした第Ⅰ期の南辺は見つかりませんでしたが、奈良・平安時代の中での3時期の遺構面(当時の地表面のようなものです)が確認されました。



 写真1  青色、赤色、黄色のテープが3時期の遺構面の位置を示しています。青色→赤色→黄色の順に新しくなります。


 当初の地表面は調査区の東と西(写真2の端から端)で2mの高低差がありましたが(写真2)、


 写真2  人の立っているところは、青色のテープで示した時期の地表面です。


 降雨等による土砂の流入やゴミの廃棄によって、多賀城第Ⅳ期(9世紀後半以降)の頃には1mほどの高低差になりました(写真3)。


 写真3  人の立っているところは、黄色のテープで示した時期の地表面です。


 沢やそれに面した場所でしたが、長期間利用されていました。

 遺物は多く出土しました。特に、部分的に深く掘った25㎡程度の範囲から、整理用平箱で70箱以上が出土しています。
 土器、陶磁器、瓦、金属製品、石製品、土製品、鉄滓、動物の骨角、植物の種子と多くの種類があり、その内容は、食事や炊事、貯蔵に関わる「うつわ」、鉄製品や銅製品の生産、漆を使った作業、鹿の骨や角の加工といった「ものづくり」に関わるものです。「うつわ」の中には、当時の国内最高級食器の緑釉陶器も出土しています(詳しくは現地説明会資料をご覧ください)。
 これらの時期は、8世紀後半から10世紀後半にかけてです。

 今回の調査で見つかった遺構と直接結びつく遺物は少ないですが、遺構・遺物から、奈良・平安時代の多賀城に勤務した人々が、この場所や周辺の場所を長期にわたって繰り返し利用し、様々な業務を行っていたことが分かりました。

 残りわずかとなった調査ですが、最後まで集中して一つでも多くの情報を手に入れていきたいと思います。

                                                                         (村上 裕次



考古学実習を行いました。 /平成30年10月11日

 多賀城跡調査研究所は、東北大学の文学部・文学研究科と連携していて、毎年、多賀城跡をフィールドとした「考古学実習」を行っています。
 今年は、9月25日から10月4日までの期間に実施しました。



                       東北歴史博物館内でのオリエンテーションの様子

 実習では、測量、発掘調査、遺物整理を行いました。
 
 発掘調査では92次調査に参加しました。沢に埋まった土を、発掘の基本である上の層から順に掘り下げていく層位的調査や、多賀城跡で多く見つかる奈良・平安時代の柱の跡の調査を実践しました。



                                     発掘調査の様子1

 最初は、土の違いに慣れず遠慮がちな様子でしたが、実習が終わる頃には、自信を持って積極的に掘っている姿が見られました。


                                     発掘調査の様子2

 多賀城跡の調査研究に50年近く関わってきた当研究所として、これからを担う若い人材の育成の一端に、多賀城跡を通して関わることは、大切な役割の一つと考えています。
 今後も、蓄積された当研究所の技術と経験、それに基づく専門性を様々なかたちで活かしていきたいと思います。

 今年も若い学生の皆さんと一緒に調査することで、初心を思い出させてもらいました。
 この気持ちを忘れず、今後も調査研究を進めていきたいと思います。

                                                  (村上 裕次)



古代の遺構を確認しました! /平成30年9月21日

 8月末は雨が多く、作業を出来ない日が続きましたが、9月は晴天にも恵まれ、絶好の調査日和でした。
 調査区周辺では、秋桜や彼岸花がきれいに咲いています。


                                      (南東から撮影)

 調査地は、現在は平坦ですが、元々は、北・東側の丘陵から南・西に傾斜する沢の地形で、調査区北東隅から南西部までは、約2mの高低差がありました。
 
 調査では、この沢が奈良・平安時代から現代まで、約1200~1300年かけて、徐々に埋まっていった様子が分かります。


           奥が丘陵の縁で、手前の深掘りしているところが沢部分です(南西から撮影)

 調査区の東側では、沢が埋まる過程で、斜面に土を盛り、平らな地面を造り出す「整地」をしていたことが分かりました。
 この「整地」された面からは、複数の柱の跡が見つかっています。
 
 東隣には、2012年度に調査し、たくさんの掘立柱建物が発見された84次調査区が位置しており、これらとの関係が注目されます。


                    手前に「整地」の土と柱の跡が見えます(北東から撮影)

 時代を経るごとに変わっていく地形に対して、奈良・平安時代の人々がどのようにこの土地を利用していたか、注意深く調査を行い、明らかにしていこうと考えています。
 その中で、目的とするⅠ期外郭南辺の有無について迫っていく予定です。

 過ごしやすい秋の季節になってきました。
 10月も精力的に進め、最新の調査状況をお知らせしていきます。
                                                  (村上 裕次)



発掘調査開始! /平成30年8月24日

 8月21日から調査が始まりました。
 お盆を過ぎたとはいえ、厳しい暑さが続いています。

 最初に、調査を行う場所を設定し、重機を用いて表土除去を行いました。

 表土からは、土器を中心に、多くの遺物が出土しています。



                                       (東から撮影)

 周囲が住宅地のため、安全面に気をつけた調査を心がけます。


                                      (南東から撮影)

 来週から、古代の層目指して、人力で掘り下げていきます。
 どのような遺構・遺物が姿を現すか、楽しみです。
                                                  (村上 裕次)



今年の発掘調査が始まります。/平成30年8月9日


 お盆明けの8月20日から、今年の発掘調査を開始します。
 今年の調査は、遺跡南西部の五万崎地区で、多賀城Ⅰ期(724~762年頃)外郭南辺の、西側延長部分の確認を目的としています。下の図、写真で赤く塗ったところが調査予定地です。






 Ⅰ期外郭南門は、多賀城碑付近にあるⅡ~Ⅳ期(762~1050年頃)南門の120m北に位置します。
 
 東西両側にはこの時期の南を区画する施設が見つかっており、これまで、南門から東側370mと、南門から西側100m付近までの計470m直線的に延びることを確認しています。
 また、丘陵部では築地塀、低地部では材木塀と構造が異なることも分かっています。
 
 今年の調査では、さらに西側の情報を集めて、区画施設の規模や構造の解明を目指します。

 調査は11月後半まで行う予定で、11月前半には現地説明会を開催したいと考えています。
 乞うご期待。
                                                  (村上 裕次)


発掘調査が終了しました。/平成29年11月2日


 今週で発掘現場の埋め戻しも完了し、今年度の調査は無事に終了しました。


 調査では、最後に北側の路面の状況を確認するため重機でT3の北側を拡張しましたが、丘陵部のへりに沿って河川・流路があり、それによって路面は壊されて残っていませんでした。
 ただし、これまでに検出していた路面構築土や堆積土の断ち割りを行い、道路の構造や変遷を考える上で重要な情報を得ることができました。

 
 5月末から約5ヵ月にわたって調査を行いましたが、8月の長雨や10月末の台風など、今年は最後まで雨に悩まされた調査でした。たとえ猛暑であっても、晴れの日がいかに貴重であるかを痛感しました。

 短い期間でしたが、発掘調査にご協力いただきありがとうございました。


(T3拡張区作業風景:北西から)                 (T3拡張区検出状況:南から)


(埋め戻し状況:北東から)
                                                   (高橋 透)


調査も終盤戦。/平成29年10月19日

 「おしらせ」で告知しましたように、10月7日(土)に現地説明会を行いました。
当日は雨にも関わらず、70人近くの方々に足を運んでいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。


(現地説明会風景)


 さて、9月は比較的天候が良く、ようやく調査も進展しました。とくに3トレンチの調査区北側を拡張したところでは、路面を構築した際の盛土の可能性がある土を確認しました。また東側溝については断割を行い、古い東側溝は最終的に埋め戻されていること、新しい方は3回掘り直されていることが分かりました。ただし、西側溝について河川・流路によってすべて壊されており、確認できませんでした。

 調査は今月中に終了し、埋め戻しを行う予定です。路面の変遷などを把握するため、ギリギリまで調査を行うことになりそうですが、あとで後悔しないよう頑張りたいと思います。


(調査区中央部:南西から
)                   (東側溝断面:南から)

                                                   (高橋 透)

雨続きで作業は思ったように進まず・・・。/平成29年9月8日

 
 前回の更新から1ヵ月が過ぎましたが、作業は思ったように進んでいません。
 調査区の拡張が終了し、全体を清掃してから写真撮影を行ったまでは良かったものの、その後は雨続き。泥で調査区が汚れてキレイにしては雨が降り、再びキレイにするの繰り返しで調査が進展せず、天気予報や雨雲レーダーとにらめっこする日が多かったです。


 ただし、調査区を拡張した結果、2条の南北大路東側溝の伸びを確認できました。また3トレンチ西側の河川の土を除去したところ、西側溝の可能性がある1条の南北溝を確認できました。一方で、道路の路面や道路をどのように構築したかについては、まだ検討が必要で、一部拡張するなどして確認したいと考えています。


(上が北)

(上が北)

 なお、お知らせでも告知した9月5・6日の研究委員会では、上記の成果を委員の先生方にみていただき、今後の検討課題を指摘していただくなど、無事に終了しました。


 調査は10月半ばまで続きますが、来月上旬には現地説明会を予定しており、正確な日付が決まり次第、告知します。
 今後も雨が続くのか気になるところではありますが、なんとか調査を進めて皆さんにお見せできればと思います。

                                                   (高橋 透)


暑さに負けず、河川を掘下げています。/平成29年7月24日


 7月に入ってから30℃を超える日が多くなり、梅雨明けしていないため湿度も高く、現場をやるには辛い時期となりました。それでも、休憩を多く取りながら、作業員さんとともに調査を進めているところです。

 先月に続き3トレンチの調査を行っていますが、調査区東側で南北大路の東側溝と思しき2条の南北溝を検出しました。また調査区中央から西側にかけて河川が存在しており、3トレンチ西端にある灰白色火山灰を含む土坑を壊していることから、10世紀前葉以降のものと考えています。

 現在は河川跡の下に道路の一部が残っていないか探るため、河川跡を掘下げています。河川跡は深いところで1.2mほどあり、これを掘りあげるのは暑さも相まって重労働ですが、根気強く掘っていきたいと思っています。

 なお、これから3トレンチ東側を2トレンチのある北側へ拡張する予定です。道路跡や河川跡がどこまで延びるのかなど、遺構の状況を確認したいと考えています。

 これから夏本番を迎えますが、体調に気をつけながら、調査していきたいと思います。



(上が北)

(3トレンチ作業風景。左:西から、右:東から)
                                                   (高橋 透)




 道路跡を探索中。/平成29年6月21日

 第91次調査が始まってもうすぐで1ヶ月が経ちます。
 調査初日に比べ過ごしやすい気温の日が続いているのは良いのですが、梅雨入り前にもかかわらず雨の降る日が多く、思いのほか調査が進んでいないのは残念なところです。


 さて、前回の更新のなかで調査を行う場所を3ヵ所設定したと書きましたが、それが下の写真で赤く示した1~3トレンチです。

(写真は上が北)


 調査の結果、1・2トレンチでは近現代の削平が著しく、南北大路と考えられる明確な道路側溝や路面を確認することはできませんでした。

 現在は3トレンチの調査を進めています。3トレンチの南で行われた県道建設に伴う発掘調査では、南北大路の道路側溝が見つかっていおり、3トレンチでも確認できる可能性が高いです。
 これから梅雨に入って気温も上昇し、調査を行うには辛い時期になりますが、調査員・作業員ともに体調に気をつけつつ、道路跡の探索を進めていきたいと思います。

(2トレンチ作業風景。南東から)
                                                   (高橋 透)



発掘調査が始まりました。/平成29年5月26日

 5月22日より、発掘調査が始まりました。
 初日となった22日は、気温28℃と今年一番の暑さで大変でしたが、昨年の調査初日が30℃を超える暑さだったことを考えると、まだ少し楽だったかもしれません。

 今週はまず調査をおこなう場所を決め、そこの表土を除去する作業をおこないました。
 調査をおこなう場所は、以前アパートが建っていた部分の南側に1ヵ所、その北側の一段高いところで2ヵ所設定しました(写真は北側の調査区の一部を東から撮影)。



 北側の調査区は一部ですでに岩盤が露出しており、道路跡は思っていたよりも残りが悪そうです。ただし、南側の調査区では道路跡にともなう両側の側溝がよく残っている可能性があり、今後の調査成果が期待できます。
 来週からは人力で土を掘下げ、道路跡の様子を確認していきたいと思います。

                                                  (高橋 透)

発掘調査が始まります。/平成29年5月17日

 来週から、今年度の第91次発掘調査がはじまります。
 年は遺跡全体の南端中央部にあたる田屋場地区で、多賀城外郭南門から南へ延びる南北大路の調査を行います。下の図で赤く示した所が今回の調査区です。







 多賀城の外郭南門は、平成36年度完成を目指して建物復元を行う予定で、同時に周辺の環境整備も行います。そこでは南北大路も復元展示しますので、今回の調査ではその際に参考となる情報が得られると考えています。

 調査は10月前半頃まで行う予定で、9月には現地説明会を行いたいと考えています。その際には皆さんへ古代の道路の様子をお見せできるよう、調査を進めていきたいと思います。

                                                   (高橋 透)

発掘調査が終了しました。/平成28年10月17日

 先週、調査区の埋め戻しを行い、第90次発掘調査が無事終了しました。
 説明会後に、図面作成や全体の写真撮影(1枚目:上が北)を行なったあと、重機による埋め戻しを行ないました(2枚目)。作業風景は、5月27日の記事と一見似ていますが、調査担当としては全く違う気持ちでカメラのシャッターを切りました。
 この後は、室内での整理作業に入り、現場での成果をさらに分析していきます。
 発掘調査へのご協力ありがとうございました。


調査区空撮埋め戻し風景

(廣谷 和也)

現地説明会へのご参加ありがとうございました。/平成28年9月30日

 先日は、現在の調査成果について一般の方々への公開を行いました。その数日前には、報道機関への公開も行い、新聞やテレビ等で説明会の開催を知った方も多いかと思います(写真1枚目)。
 天候にも恵まれ、無事終了することができてホッとしていますが、説明が至らなく、わかりにくい箇所が多かったであろうことを反省しています。
 それでも、檜扇については実際に間近で見てもらうことに意味があったと思っています(写真2枚目)。あの状態で皆さんの前に展示できる機会は今後もそう多くはありません。遺物の状態は、時間の経過と共にどんどん変わっていきますので、調査現場で出土した製品の鮮やかさを感じていただけたなら幸いです。

報道発表風景写真檜扇展示風景写真

 当日は、説明会終了直後に雨がぱらつきはじめ、その後二日間降り続けました。
 今回の調査チームに雨男がいないことを確信し、調査完了にむけてラストスパート中です。

 当日の配付資料を「お知らせ」に掲載しましたのでご利用ください。

残暑の中、説明会に向け準備中です。/平成28年9月9日

 夏らしい暑さとなった今年の八月は、いつもより台風の多い夏となりました。
 その合間を縫いながら、調査を進め、現在は写真のようにさらに深く掘り下がっています(1枚目の写真)。

 そして、現在の地表面から、2.5mほど下がったところで、目的としていた第Ⅰ期の外郭南辺を見つけました。
掘り下げる課程では、前回紹介した道路盛り土の作り方についても確認しており、一定の成果が上がりました。 
そこで、現地説明会で皆さんに調査成果の公表を行いたいと思います。
日時は、9月17日(土)の10時半からです。
出土した扇も展示予定です(2枚目の写真)。
詳しくは、「お知らせ」に掲載していますので、ご覧ください。

現在の調査風景写真出土した扇の写真

 現在、調査と平行しながら説明会に向けての準備を進めているところです。
所員一同お待ちしておりますので、ぜひ足をお運びください。

(廣谷 和也)

長い梅雨が終わりそうです。/平成28年7月27日

 今年の梅雨は、梅雨らしい梅雨となりました。8人の作業員さんの活躍に、途中13人の東北大学実習生の若い力による応援も加わり、雨による中断を繰り返しながらも、順調に進めています。

 下の写真は先週撮影したものです。前回記事の1・4枚目の写真と見比べてみてください。さらに1mほど堀下がりました。
 
 一番内側の調査区の、中央から奥に見える、黄色い土を盛った高まりが、1200ほど前の9世紀代に使われた東西方向の道路跡です。1・2枚目の写真手前側の黒く写っている低い部分が土を盛る前の湿地状の地表面の高さです。西側から撮った3枚目の写真で黄色い土の範囲を見ると、手前(西)側が幅広く、奥(東)が細くなる形をしているようです。

 
 ここまで掘り下げる途中にも、いくつか興味深い遺構や遺物が出土しました。石を組んだ井戸には、大きな曲げ物が井戸枠として利用されていました。上澄みのきれいな水だけを使用していたのでしょうか(写真4枚目)。
 さらに珍しいものとしては、古代の役人が使った檜扇も見つかりました(写真5・6枚目)。何枚か重なっているようで、所々に墨の痕跡も見えました。何が書いてあるのか、想像が膨らみます。乞うご期待です。

 
 梅雨が嫌いだった盆地育ちの私にとって、涼しく過ごしやすい仙台の梅雨は少し名残惜しいですが、快晴の下での発掘調査も悪くありません。より古い遺構を目指し、さらに下へと堀進めていきます(写真7枚目)。

(廣谷和也)

手堀りにて、調査を継続中です。/平成28年6月17日

 前回の更新のあと、人力による掘り下げを初めて3週間が経ちました。大きな雨もなく順調に進んでいます。
 調査区全体の東側に優先的に掘る調査区を設定し(写真1枚目:南西から)、重機で取り足りなかった土をさらに下へ下げました。下げる途中には、完全に近い形で壊れたような古代の土器も出てきます(写真2・3枚目)。スポンジで泥を落とし、後々の整理のために丁寧に取り上げました。

調査区全体 南西から土器掃除の様子出土した完形の土器

 数十センチ下げて面をきれいにしたところでいくつか遺構が見つかりました(写真4枚目:南西から)。低い南側には畑の畝とみられる溝、やや高い北側では井戸が使われていたようです、そのほか小さい柱穴もあるので小規模な建物もあったとみられます。調査区内は、深く掘り下げると水が出てくることが多く、井戸も柱穴も泥と闘いながら、掘り下げを進めています(写真5・6枚目)。

3層上面の遺構井戸掘り風景柱穴堀風景

 層位的に、現在見えている遺構は古くとも10世紀以降に使われた施設とみられます。また、出土する土器なども確実に新しい時代のものはほぼ見られないので、古代からさほど遠くない時代のものかもしれません。ただ、目指すはさらに古い時代です。

今週からついに梅雨に入りました。長雨が続かないよう祈りながら、さらに下へと掘り下げていきたいと思います。
調査に雨は天敵ですが、梅雨に映えるアヤメが満開に近づきつつあります。
今週末からは、「多賀城跡あやめまつり」も開催されます。そちらもぜひご散策ください。→「あやめまつり」についてはコチラ

(廣谷 和也)

 

発掘調査がはじまりました。/平成28年5月27日

 いよいよ発掘調査がはじまりました。今年は真夏日からのスタートです。

 今週は、まず重機を使って上の土を除去しました。
 小高い丘のある調査区の西側(写真1枚目の右側方向)から東側に向かって、上にたまっている新しい時期の土を除去しました。最も深い南東隅では1.5mほどまで下がりましたが、まだ目指す時代の土は出てきていません。

 金曜の雨で、来週から掘りたいところがさっそくプール状態になってしまい(写真2枚目)、ポンプを使って水をあげました。今年もポンプは不可欠ですが、大活躍しない程度の雨で済んで欲しいです。
重機での掘削は終了し、次からはいよいよ人力のみで下に掘り下げていきます。

(廣谷 和也)