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多賀城スコープ/発掘調査いまCONCEPT

多賀城跡発掘調査_2016年1月15日

 遅くなりましたが、みなさま新年明けましておめでとうございます。
 発掘調査は、現地説明会終了後も細々とではありますが継続していました。部分的な断ち割りや図面作成などが主な作業です。その中で、火災に遭った当時の地面や(写真左上:奥が築地塀、中央の赤い所が火災の跡)その時に火を受けた瓦なども見つかりました(写真右上:築地北側。火災後の整地に入っていた瓦))。櫓があったこの場所がまさに780年の呰麻呂の乱の現場となったことがわかります。10月の更新で触れた焼け落ちた瓦は、乱が起こったときに櫓の屋根に葺かれていた可能性が高いといえます。
築地北側の焼け面火災後の整地に入っていた瓦
はぎ取り作業埋め戻し作業 また、年末には築地塀の断面のはぎ取りも実施しました。いつか皆さんの目に触れる機会があるかもしれません(写真左下)。

 調査の方は昨年の仕事納めの日に図面や写真の記録作業が切りよく終了し、年明けには、人力での埋め戻しの後に、重機による埋め戻しを行い(写真右下:調査区北東から)、今年度の野外調査の一切が終了しています。

 私が研究所に来てから、発掘調査が年を越したのは初めてのことです。9月の豪雨の影響もありますが、何よりも築地塀と櫓について想定以上の成果が上がったことが、調査に費やす時間が増えた理由と考えています。今後は室内に入り、出土した遺物や遺構のあり方について検討を深めていきたいと思います。

 今は、野外での作業がけが人もなく終了して、まずはホッとしています。
 お近くをお通りの際はご迷惑をおかけしましたが、みなさまご協力ありがとうございました。

(廣谷 和也)

多賀城跡発掘調査_2015年12月4日

 早くも師走に突入してしまいました。多賀跡の発掘調査も終了にむけてラストスパートというところです。
 遅くなりましたが、先日11月7日に開催した現地説明会の写真と資料のデータを掲載します。当日は約200人という多くの方々に足をお運びいただきました。誠にありがとうございました。
説明会風景説明会風景2
『多賀城跡-第88次発掘調査現地説明会資料-』(PDFファイル:1.67MB)のダウンロード

(廣谷 和也)

多賀城跡発掘調査_2015年10月10日

前回の更新から、集中豪雨、爆弾低気圧、台風23号と大荒れの天気が続きました。お盆前は、猛暑の中気温が下がることだけ願っていましたが、雨と風にやられた感じです。水没からの復旧や、暴風対策を繰り返しながら調査を進めていますが、やはり日数はあまり稼げていません。

 写真の1枚目と2枚目は築地を北側と南側の両側から撮ったものです。土が乾かないように掘るところだけしかシートをあけないので見えにくいですが、真ん中の高いところが築地本体です。両側に崩れた土を取り除いたところでは、築地本体は1.5mほどの高さが残っていて、何回か修復したり積み直していることもわかってきました。本当によく残っています。
築地本体南から築地本体北から

 軒瓦出土状況出土した軒瓦拡大崩れた土の中からは、ここで使われた瓦が大量に出土します。写真の3、4枚目はその中のごく一部ですが、取り上げた瓦をよく観察してみると、表面が焼けただれて、剥離しているものなどが少なくありません。どうやら屋根に葺かれている間に火災などで火を受けているようです。

 なぜここに焼けた瓦がたくさんあるのか。そのときの築地の状況はどうだったのか。大雨で滞った分をこれから挽回しながら、こういった疑問を解き明かしていければと思います。

(廣谷 和也)

多賀城跡発掘調査_2015年8月10日

7月後半から、第88次調査立石地区の調査を開始しました。88次調査看板88次調査風景88次調査風景2 調査開始にあたり、調査看板を設置しました。アヤメ園の園路のすぐ脇が発掘調査区となります。写真は、現在の状況に東北歴史博物館内の政庁展示模型の築地塀を合成したものです。合成があまり上手くいきませんでしたが、雰囲気をお伝えできればと思います。崩れながらも1000年以上残ったこの高まりから、どのような成果が出るか楽しみです。

 8月後半には、少しでも気温が下がることを期待してお盆を過ごしたいと思います。

(廣谷 和也)

     

多賀城跡発掘調査_2015年7月24日

蒸し暑い梅雨の真っ只中、作業員さん自家製スモモのおいしさに感激した調査担当者より調査状況のご報告です。城前地区は、掘削作業がおおよそ一段落し、今週は全体写真を撮影しました。

城前地区全体写真見つかった柱穴図面作成作業

上の写真が調査区全体を南側から撮影したものです。調査区中央の広く平らなところが、多賀城が使われなくなった後にたまった土で、手前と奥の堀り下がっているところが、奈良・平安時代の土の面まで発掘した部分です。標高の高かった画面右の東側から西側に向かって崩れ流された土が厚くたまっている様子がわかります。

掘り下げたところを観察した結果、奈良平安時代の道路跡とみられる溝を何本か見つけることができました。さらに、道路の東側では城前地区の役所に関連する柱の跡もいくつか見つけています(写真下段左)。写真撮影の合間には、紙図面での記録作業も行っています(下段右)。手伝いに来てくれた学生さんにも頑張ってもらいました。

記録した写真や図面、出土した瓦や土器などをもとに、使われた年代や当時の姿などを考えながら、さらに調査を進めていきたいと思います。次回は、来週から始まる立石地区についても報告できると思います。

 

(廣谷 和也)


     

多賀城跡発掘調査_2015年7月3日

 東北南部もついに梅雨入りしました。調査は引き続き城前地区を掘り進めています。南側の掘削が終了し、現在は北側に移って道路の状況を探っているところです。
調査風景全体調査風景北トレンチ

 さて、多賀城のメインストリート(政庁南門間道路)の想定位置を現在の写真に当てはめてみました。黄色が奈良時代の13m道路、赤が平安時代の23m道路です。周りに写っている車や道路と比べてみても、非常に立派な道路であることがわかります。現代の道路感覚で言い換えると、奈良時代の道路が片道2車線、平安時代の道路が片道3~4車線といったところでしょうか。奈良時代と平安時代の道路幅

 当時の人々は、税の一部として土木工事などへの参加が求められていました。お役人さんが決めたこととはいえ、自然にできた複雑な地形に平らでまっすぐな道路を造るにはたくさんの苦労や工夫があったことと思います。多賀城の発掘は、いわば当時の公共事業の実態を明らかにする調査でもあります。

 梅雨の晴れ間や雨上がりには、普段はかすんでいる仙台市内の街並みが見えることもあり、雨の季節ならではの光景で得した気分です。日差しにも雨にも映えるあやめと共にぜひご散策下さい。あやめ祭は今週末まで開催しています。

(廣谷 和也)


     

多賀城跡発掘調査_2015年6月12日

 調査が始まって早くも一月が過ぎました。梅雨前のさわやかな季節のはずが、夏のような気温の日々が続きました。なかなか希望通りにはいきません。

 掘り進めていく中で、南北方向に延びる溝を2本発見しました。内側が奈良時代の道路側溝、外側が平安時代の道路側溝ではないかと見ています。東側の城前地区から流れた土の中からは、当時使われていた瓦などが出土しています。多い日では袋に5、6袋の量が出土しています。洗う量が増えて大変ですが、瓦についても今後調べていきたいと思います。   
調査区全景階段と今回の調査区瓦出土作業風景瓦出土状況

 今年の調査区は遺跡を来訪者がたくさん通ります。みなさん発掘風景を眺め、時には我々に質問しながら政庁へと向かっていきます。近所の方はもちろん、兵庫や京都など西日本の方も少なくありません。外国からの観光客も多く、先日はニュージーランドから20名ほどの団体さんが観光していました。質問されたらと緊張しましたが、通訳の方がいて安心しました。

 南門から政庁を目指し、階段の手前で政庁の丘を見上げる調査区からのこの景色が、多賀城らしさを象徴する風景の一つかなと、ふと考えたりします。歩いてみてどこが印象深かったか、来場した方々の感想も聞いてみたいものです。見頃を迎えたあやめ園とともに、ぜひ多賀城散策を楽しんでください。

     

(廣谷 和也)


    

多賀城跡発掘調査_2015年5月29日

 5月18日から今年の発掘調査を開始しました!調査開始早々の二日目に雨で中止となり、さっそく出鼻をくじかれてしまいましたが、その後は好天が続いています。今年も天気予報に一喜一憂する日々が始まりました。

 今回の調査区は、多賀城散策ルートの中でもメインルートの近くになります。そこで、調査区前には、下のような看板を設置しました。政庁へ向かうルートが狭くるのでご迷惑をおかけしますが、通行にご注意ください。

城前地区発掘調査看板

 当研究所では今後、看板の中央オレンジ色で示した政庁南門間道路について復元整備を予定しています。道路南側から撮った、調査区周辺の現在の写真がこちらです。
調査区写真 南から
 写真の通り今回の調査区は整備予定の道路上に東側から突き出す位置でありながら、調査が行われていないことから詳しいことが分かっていませんでした。この場所の調査成果が整備計画に大きく関わってくるため、政庁南門間道路の状況を調べることを一番の目的として調査区を設定しました。

 調査は現在、重機での掘削を終了し、人力での掘り下げを開始しています。
調査前状況調査風景 重機での掘削

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2015年5月14日

 多賀城跡調査研究所では、古代多賀城の実態解明に向けて今年も城内の発掘調査を2箇所で行う予定です。調査箇所は①88次調査が立石地区、②89次調査が城前地区です(図①②)。
 ①88次調査は多賀城を囲む外郭線のうち、南側を区画する南辺についての調査です。場所は、南門南東隅のおおよそ中間に位置します。多賀城内には、1000年以上前に作られた築地塀が、壊されずに土塁状の高まりとして残っている箇所が多数見られます。今回は、そのなかでも非常に残りの良いと思われる場所に調査区を設定します。なるべく残りの良いところを発掘することで、当時の区画施設が作られた時期や、詳しい作り方などを調べることがねらいです。
 作られた時期については、昨年調査して詳しいことが分かってきた南門と同じ奈良時代後半につくられた可能性があります。南門や南辺がある多賀城の南側は、当時の正面側にあたりますので、多賀城の入り口側がどのようにつくられていたかを、これまでの調査成果とあわせて考えていきたいと思います。
 ②89次調査は南門から政庁へ向かう道路上の、階段登り口付近の調査です。城内には、正門である南門から入り、丘陵上にある政庁に向かうための道路や階段が備えられていることが分かっています。また、この道路の東側の丘陵には、奈良時代後半から役所として使われた建物群が見つかっています。
 今回の調査では、道路の位置や高さを確認し、東側にある建物群とのつながりなどについても調べていく予定です。調査区周辺では、今後道路や役所跡の環境整備を実施していく予定ですので、今回の調査で得た正確なデータを整備に役立てていきたいと考えています。

 調査は、②の場所を5月18日から、①の場所を7月頃からそれぞれ開始する予定です。
 発掘に関する情報はこのページで随時掲載していきたいと思います。

88・89次調査区位置図

88・89次調査区位置拡大図

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2015年1月5日

 昨年末で平成26年度の多賀城跡発掘調査(第87次調査)は終了しました。調査の終盤で悪天候にたたられて苦戦しましたが、なんとか終了し、ホッとしています。この先は調査した遺構や出土遺物の整理作業が待ったなしの状態です。
 今回の調査は坂下(鴻ノ池)地区と田屋場(南門)地区の2箇所で実施し、主に南門地区の調査で、第Ⅰ期にあたる掘立式の南門は存在しないこと、想定される第Ⅱ期南門の規模が従来の見解より大きく、方向も南北大路に正対していたと考えられることなどが新たにわかりました。
 来年度は、立石地区で南側の外郭南辺東半部(第88次調査)、城前地区で政庁-南門間道路(第89次調査)の調査を行う予定です。第88次調査は、今年度の調査で見解を改めた南側外郭南辺の東半部で再来年度に盛土による築地塀跡の表示を含めた多賀城市の中央公園整備が実施されることから、この部分の築地塀について改めて詳細なデータを収集します。第89次調査は、今後に実施する政庁-南門間道路の復元整備に向けて、路面の高さをはじめとする道路の詳細なデータを補足することが目的です。
特別史跡多賀城跡附寺跡の指定範囲と平成26・27年度調査対象地

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2014年11月28日

 いよいよ12月、多賀城南門跡の発掘調査(第87次調査)も終了まであと少しというところまで来ました。現在は、今後の南門立体復元事業(多賀城市)に備えて、色々な計測データの補足と遺構面を保護するための埋め戻し作業を行っています。
 遅くなりましたが、11月8日の現地説明会には多くの皆様に足をお運びいただき、誠にありがとうございました。今回は、その時の様子を撮影した写真を掲載します。

『多賀城跡-第87次発掘調査現地説明会資料-』(PDFファイル:1.97MB)のダウンロード

現地説明会の様子(その1)現地説明会の様子(その2)

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2014年10月31日

 今週は、ラジコンヘリによる空中写真撮影を行いました。その時に撮影した第87次発掘調査区の写真を何枚か掲載します。
 【写真上】は、調査区全景を南上空から撮影したものです。ほぼ中央に位置する南門跡と、その東西に取り付く外郭南辺築地塀跡を合わせて調査する目的で東西に長い調査区を設けています。調査区中央(南門部分)の北側を政庁-南門間道路の位置を示す植え込みが延び、その奥には政庁跡が見えています。
 【写真左下】は、南門跡を南から撮影したものです。門は礎石式の八脚門でしたが、礎石はすべて失われており、礎石を据えた穴も多くは削平されています。小さな石が集中して見える場所に礎石は置かれていました。この小さな石は礎石の据わりをよくするための根固め石です。
 【写真右下】は、調査区を南東上空から撮影したものです。細長い調査区の中央を東西方向に延びる高まりが築地塀跡です。この築地塀の西側延長上には、過去の調査で判明した築地塀の位置が生垣で表示されています。
 11月8日(土)には、現地説明会(一般公開)を開催します。皆様、是非足をお運びください。多賀城市による南門復元の計画が進む中、本物の南門跡を見られるのはこれが最後かもしれません。詳しくは、「お知らせ」をご覧ください。
調査区全景(南から)
南門(南から)調査区全景(南東から)

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2014年10月17日

 10月に入り、朝夕はめっきり冷え込むようになりましたね。日ごとに早くなる日没や風の冷たさに、本格的な秋の訪れを感じます。多賀城内の木々も色づき始めました。深まる秋と共に多賀城跡の発掘調査も佳境を迎えています。
 田屋場地区(南門周辺)の調査では、多賀城第Ⅱ期(762〜780)の南門がこれまで考えていたよりも大きくなり、方向も多賀城造営の基準線(政庁中軸線)と揃って道路に正対していることなどがわかりました。
 また、この第Ⅱ期南門の約120m北側にある第Ⅰ期南門の西側を調査した坂下地区では、丘陵裾部の旧地形が南西へ向かって大きく落ち込んでおり、第Ⅰ期の面が予想以上に低い位置にあることがわかりました。
 これらの調査成果については、11月8日(土)に現地説明会(一般公開)を開催し、皆様に報告する予定です。詳しい日程や開催要項が決まり次第、改めてご案内したいと思います。
南門東側の築地塀跡南門跡の礎石を据えた穴に残る根固め石

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2014年8月21日

 宮城県では、お盆の間は涼しい日が多く、秋の気配を感じていたのですが、盆明けと共に暑さも戻ってきました。発掘現場の作業員さんと交わす朝の挨拶は相変わらず「今日も暑いですね」から始まります。他の地域と比べて、夏は過ごしやすいと思っていたのですが、宮城でも夏の暑さが年々増しているように感じます。
 南門地区(田屋場地区)の発掘調査は、開始から3ヶ月が経過しました。当初の予定よりも調査範囲を東西に広げ、外郭南門跡とそれに取り付く南辺築地塀跡を長さ約60mの範囲で再検出し、調査を進めています。広げた理由は、築地塀の構造や造り替え、補修の状況をより詳しく確認するためで、後に実施される南門復元整備との兼ね合いで調査が必要となった場所もあります。
 ところがあまりにも好天続きで、遺構面を保護しているシートを開けると、土がみるみる乾いて白くなってしまいます。また、太陽光が強すぎるのも問題で、細かい土の見分けがつきません。そこで、少しずつシートを開け、時には作業員さんに陰をつくってもらいながら作業を進めています(写真右)。
 現段階でははっきりした結論は出ていませんが、南門や築地塀の解釈に多少の変更が加えられそうです。調査成果がまとまった時点で、現地説明会を開催して皆様に報告したいと思います。もうしばらくお待ち下さい。
田屋場地区発掘調査の様子1田屋場地区発掘調査の様子2

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2014年6月12日

 5月下旬に多賀城跡第87次調査を開始しました。今年度の対象地区は2箇所ありますが、まずは外郭南門地区(田屋場地区)の調査に着手しています。この場所は、過去にも調査を行っていますが、外郭南門跡とそれに取り付く東西の南辺築地塀跡を一度に現しだして調査するのは初めてで、南門復元や周辺の環境整備に向けてさらに詳しい情報を得ることを目的としています。
 現在は、過去の調査後に埋め戻した土を人手で取り除いて、調査当時の状況を再検出している段階です。南門東側の築地塀は思っていたよりも残りが良く、過去の調査では両脇に土囊を積み上げ、上部を山砂で覆って大切に保護していました。因みに、築地塀とは土を突き固めて高く積み上げ、屋根をかけた土塀です。多賀城跡の外郭南辺の築地塀は、瓦葺きで、高さが4〜5mあったと考えられています。この塀が、1000年を経た現在も1m程の高さで残っていました。
 門と塀の全容が現れるのは、6月末頃でしょうか。後は、お天気次第です。
外郭南門地区の様子南門東側の築地塀(南東から)
南門東側の築地塀(東から)南門西側の調査の様子(南から)

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2014年4月28日

 多賀城跡では、城内のサクラが散り、いよいよ発掘調査のシーズンを迎えます。第87次となる今年度の発掘調査は、外郭南門・南辺を対象に2地点で実施します。
 1地点目は、外郭南門と築地塀の周辺(図のオレンジ色部分:下)です。多賀城南門跡の正式報告書作成に必要なデータを補足する目的で調査を行います。その中で、多賀城市が進める南門復元整備事業の対象である第Ⅱ期南門の規模や方向、築地塀の取り付き方などについても再確認し、検討を加えます。
 2地点目は、1地点目から120m程北(城内側)に寄った場所(図のオレンジ色部分:上)です。この場所には、近年の調査成果から外郭南辺に併行して東西に延びる区画施設(門と塀)があることが分かってきました。この区画施設は多賀城跡が創建された当初の外郭南辺であった可能性があり、坂下・城前・作貫・雀山地区の丘陵と低湿地を横切って、直線的に延びています。昨年度の第86次調査で低湿地部の塀は材木塀であることが判明しました。そこで、まだ構造がはっきりしない丘陵部の塀の様子を調べるために、第74次調査(2003年)で門を発見した場所のすぐ西側を発掘調査します。
 5月上旬から現地で準備を進め、本格的な調査開始は5月後半になる予定です。調査の進捗に合わせて、できる限り速報を掲載していきたいと思います。また、調査期間中は外郭南門周辺の通行を規制するため、皆様にはご不便をお掛け致しますが、何卒ご容赦願います。
多賀城跡第87次調査対象地
第48次調査_外郭南門(南から)第48次調査_外郭南門(西から)

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2013年10月10日

 9月は大雨や台風と天候に恵まれない日が続き、思うように調査が進みませんでしたが、ようやく81次調査で検出したSX2962という、最も古い時期の区画施設の上に土を積み直して構築した盛土遺構を確認できました。
 81次調査のときと比べ、上面に多数の石が存在する点は共通しますが、しがらみなどそれに伴う構築物は確認できず、前回とは異なる様子。この違いをどう評価するか、今後検討していく必要があります。
 そして記録を取ったのちそこを掘り下げれば、いよいよ調査も佳境を迎えます。この遺構の下に存在するであろう区画施設がどのような状況か、慎重に調査を進め、明らかにしていきたいと思います。
 また、区画施設の状況が把握できた時点で、今回の調査成果を一般に公開する発掘調査現地説明会を開催します。現在のところ、10月26日(土)開催の予定で準備を進めています。木々の紅葉が始まった秋の城内散策もかねて、ぜひご来跡ください。
現在の発掘調査の様子現地表下3mで検出された盛土遺構

(高橋 透)


多賀城跡発掘調査_2013年7月22日

 7月に入り暑さが増し、梅雨空の日も多くなってきましたが、多賀城跡第86次調査は開始から約1ヶ月半が過ぎました。
 現在、地表面から約2.2mのところまで掘り下げ、ちょうど灰白色火山灰層の1つ上の層まできました。そしてその面を精査したところ、井戸や土壙のほか、溝や穴を検出しました。井戸は井戸枠の一部が残存しており、建築部材が転用されていました。また埋土からは土器や瓦以外に、獣骨も出土しています。一方でいくつかの土壙からは、完形に近い土器が複数重なって出土する状況が確認できています。
 こうした遺構・遺物は、層位や土器の年代から多賀城廃絶時期にかかわるものとして注目できます。
 しかし目指す外郭施設はさらに下層・・・。そのためそれらの記録を取りながら、さらに掘り下げる必要があります。これからもっと暑くなっていきますが、体調に注意しつつ、調査進めていきたいと思います。
地表下2.2mまで掘り下げた調査区の様子第86次調査の様子

(高橋 透)


多賀城跡発掘調査_2013年5月24日

 間もなく開始する第86次調査に備え、発掘調査で使用する測量基準点(杭)の設置を行いました。城前地区に埋設されている発掘基準点を利用して鴻ノ池地区の調査予定地に座標に載った基準杭を打ち込む作業です。
 多賀城跡では、政庁正殿跡の南入側柱列(南から二列目の礎石列)の中央に原点を設け、この原点と政庁南門跡の中央を通る軸線を発掘調査における南北方向の基準線、原点を通り南北方向の基準線に直交する線を東西方向の基準線としています。城内の発掘調査では、すべてこの基準線を基にした座標値で遺構の位置を把握しています。
 発掘基準点は城内に35箇所埋設されていますが、一昨年の東日本大震災でその座標値が大きく変動していることが予想されたため、昨年度、主要な基準点の再測量を実施しました。その結果、各点は南東方向に3.5m前後移動しているものの、史跡全体が概ね同じ方向・距離で動いたため、各点の相対的な位置関係はさほど変化がなく、発掘調査の基準点として継続して使用できることが判明しました。但し、標高は31㎝前後沈下しています。
 第86次調査は来週から開始する予定です。調査の進捗状況や成果速報を随時このページに掲載していきます。今年度の多賀城跡発掘調査にご期待下さい。
第86次調査地点の現況基準点移動作業の様子

(三好 秀樹)


多賀城跡発掘調査_2013年4月18日

 今年の調査は、創建期の外郭南辺の位置と構造解明を目的とした坂下地区の調査(第86次)を行う予定です(図・写真参照)。近年の調査で、外側の外郭線の100〜120m内側に、創建期の区画施設がのびていたことを示す成果が多くあがっています(赤線部分)。この調査区の少し東側では4年前に第81次調査を実施しており、その時は古い区画施設の基礎部分の南側のみをみつけています。今回は、その時検出できなかった区画施設本体や北側の様子について、より詳しく分かると期待される箇所に調査区を設定しました。
 今回の調査区周辺は通称「鴻ノ池地区」と呼ばれており、湿地帯が広がっています。81次調査の時もこの湿地帯付近を深く掘り下げたので、遺構が見やすいように常に水や泥と戦いながらの調査となりました。今年の調査区も一部その湿地帯を含んでいるので、そういった対策も必要になるものと思います。雨の後は特に大変でしたので、なんとか穏やかな調査日和が続いてほしいものです。
 多賀城政庁や、廃寺の桜が満開を向かえています。5月の下旬頃から始まる発掘調査に向けて準備を進めていこうと思います。
外郭南辺区画施設の位置と今年度調査区86次調査区周辺の遠景写真

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年12月21日

 今週は、調査区の埋め戻しの様子を掲載しました。
 埋め戻す際には、根石や柱穴を壊さず、かつ保護できるようにまずは粒の細かい山砂を使用しました。半年間調査を行った正殿の遺構ともさよならです。半年かかって掘り下げた正殿ですが、埋めるだけとなれば作業はどんどん進みます。一週間もかからずに遺構面はほぼ隠れてしまいました。
 現地公開期間中には、埋め戻して整備し、遺構が見えなくなってしまうことを惜しむ声をたくさんいただきました。中にはガラス張りにすればという方もおられました。しかし、そういった展示方法は、遺構をきちんと保護した上で維持するのはとても難しいのが現状です。私も、できることならばいつもこの状態で見てもらった方が遺跡の迫力を感じられると思いますが、やはり「保護する」ということがそれ以上に重要であると考えています。名残惜しいですが、しっかり保護した上で、再舗装を進めています。といっても、礎石の上面は再舗装の後も顔を出していますのでいつでも見ることができます。整備完成後に立ち入り可能になるのをお待ちください。
正殿調査区埋め戻しの様子

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年11月18日

 現地説明会に向けて正殿をきれいに清掃したのに合わせて、ラジコンヘリを飛ばして上空からの写真撮影を行いました。この日は風が強くて雲の進むスピードが速く、コロコロと日差しの強さが変化する日でしたので、撮影する業者さんもヘリの操縦やフィルムの調整など大変そうでした。
 政庁を真上から撮影した写真をみると、正殿や脇殿などが「コの字型」に並んでいる様子がよく見え、建物を正確に配置していった当時の測量技術や建築技術に改めて感心します。当時は、当然真上から写真で確認するというようなことはできません。正殿の南入側柱中央を原点とし、約9m単位の碁盤目状の割り付けをつくって、建物配置の基準としていたと考えられています。
 今回の撮影は、後殿の工事と重なってしまい北側に関しては工事用の通路などが写り込んでしまいました。今回調査した正殿や後殿は今年度中に再整備が終了し、来年度以降には北側の建物の再整備に取りかかる予定です。再整備が終了した数年後にもう一度空撮を行えば、政庁全体が綺麗に表示された写真ができあがるはずです。その写真ができあがるのが今から楽しみです。
政庁空撮(北から)政庁空撮(真上から)

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年10月13日

 先週の土曜日から約一週間、多賀城跡正殿跡発掘調査区の現地説明会と現地公開を行いました。五日間合わせて約650人もの方に足を運んでいただきました。多賀城という遺跡の注目度の高さを改めて感じました。私の説明不足で少しイメージしづらい部分もあったかと思いますが、火災の痕跡や柱穴の深さなど、みなさん間近で見ていただき、熱心に説明を聞いていただきました。
 今回のような遺跡の現地説明会は、多賀城跡だけではなく他の遺跡でも成果がまとまり次第随時開催されています。自分の足で現地に行って、実際の遺跡を見せてもらうと、文章や図だけで見た遺跡よりも理解が深まる(ような気がする)ので、私もなるべく現地説明会には足を運ぶようにしています。
 秋に開催されるところが多く、発掘業界は「ゲンセツの秋」ですので、他の遺跡の「ゲンセツ」にもぜひ足をお運びください。

 『多賀城跡ー正殿跡発掘調査 現地説明資料ー』(PDFファイル:3.7MB)のダウンロード
正殿跡発掘査現地説明会の様子1正殿跡発掘査現地説明会の様子2

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年9月21日

正殿の本物と偽物の礎石(写真) 今回、開催する現地説明会で皆さんに見ていただく正殿は現在写真のような状況です。足を運んでいただくと、整然と並んだ礎石が目に入ってくることと思います。この礎石の位置については、以前の記事でも紹介したように、本物(当時のまま残っている石)と偽物(昭和46年の整備の際に新たに置いた現代の石)の二通りあります。
 正殿の礎石は全部で36個ありますが、そのうち12個が本物で、他の石は偽物であることが分かっており、今回の調査でもそれが確認できました。下の絵と写真に赤色で示した部分が本物の第6次調査の時に本物と判断された石です。昭和46年の整備のときに新たに置かれた石はグレーで示しました。奈良・平安時代から雨風に耐えてくれたおかげで、我々は当時の建物の規模や構造を想像できることができます。見学に来た際は、ぜひ千年以上持ちこたえてくれた石が並ぶ様子を見ていってください。
正殿の本物と偽物の礎石(図面)

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年9月7日

 九月に入ったというのに残暑がなかなか終わりません。照りつける太陽の下、涼しくなるのを心待ちにしていながら調査を続けています。
 発掘調査は引き続き正殿の図面作成を行い、併行して五万崎地区の発掘調査も再開しました。正殿では図面を確認しながら、柱穴の位置や埋め土の状況などについて検討を行っているところです。こうして検討した正殿の調査成果については、10月上旬に一般の皆さんにも実際の発掘現場をみてもらう現地説明会を開催します。日程についてはトップページをご覧ください。
 前回までの調査成果に加えて、今回また新たなデータが加わったことによって、より詳しい正殿の姿が明らかになりつつあります。現地説明会は、実際の発掘調査を見ながら調査成果について学べるまたとない機会ですので、ぜひ足をお運びください。
調査中の政庁正殿跡(南東から)調査中の政庁正殿跡(東から)

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年8月20日

 正殿の発掘調査も開始から二ヶ月半ほど経過しました。時には30度を超える蒸し暑さと戦いながら調査を進めています。今回の調査区内は日陰が少ないので太陽からの逃げ場がないのが難点ですが、その分休憩時にのむ冷えた麦茶が最高に美味いです。
 大きく土を堀りあげる作業はほぼ終了し、現在は平面図や断面図で調査の記録を残す作業を進めています。平面図は、先週調査区内に設定した3mごとのグリッドをもとに作成しています。正殿は礎石や根石など石が多いので、礎石周辺を書き上げるのに苦労しています。断面図は、「レベル」という水平を見る機械を使って作成します。こちらも、凹凸が大きいところや測点が多いところでは、測る場所がずれないよう注意が必要です。
 まだまだ残暑が続きますが、汗で図面を汚さないよう気をつけながら、より正確な図面を作成していきたいと思います。
正殿発掘調査の図面作成の様子1正殿発掘調査の図面作成の様子2

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年7月6日

 写真は第Ⅱ期(時期変遷については当ホームページ「多賀城跡とは/多賀城跡」をご参照ください)に建てられた礎石を第6次調査の時に掘った箇所まで下げた状況を南から撮った写真です。となりの模式図と比べながらご覧ください。
 礎石の周りを囲むように丸くひかれた線が礎石を据えるために掘られた「据え穴」の範囲です。据え穴を掘り、「根石」と呼ばれる拳大から人頭大の大きさの石や周りの土で上にのる礎石を支えます。
 据え穴の手前側に広がる四角い線とその中央にある舌状に延びる箇所が柱を建てるために掘られた柱穴と柱を抜くために掘られた抜き穴です。
 礎石と掘立柱の新旧関係を捉えられたことから、正殿が第Ⅰ期掘立柱建物→第Ⅱ期礎石式建物へと変化していることが確かめられました。第6次調査の成果の中でも最も大きな成果の一つとなりました。
第Ⅱ期の礎石と第Ⅰ期の柱穴の状況写真両者の関係を示した模式図

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年6月22日

正殿の写真撮影に向けた清掃作業の様子 昭和46年整備時の埋土、表土、かくらんの土などの除去作業が細かい所をのぞいてほぼ終了したため、その状況の写真撮影を行いました。写真を撮るための清掃にまる二日かかりました。やはり正殿は大きいですね。清掃期間中には、台風4号が通過しました。遺構の上にかけていたシートも一部めくれ上がり、掃除した箇所が濡れてしまいました。濡れてしまったところは再度掃除し直しになるというハプニングもありましたが、無事撮影終了しました。
 掲載した写真は、斜めから撮影した写真に東北歴史博物館展示の正殿模型をはめ込んでみたものです。少しイメージがしやすくなったでしょうか?柱や屋根は失われ、今は基壇や礎石が残るだけですが、千年以上前にこれだけ大きな建物が建っていたと思うと、改めて正殿の立派さを実感できます。
 東北歴史博物館では、正殿だけではなく政庁全体の復元模型を展示していますのでぜひお立ち寄りください。さらにイメージが膨らむかもしれません。
現況の正殿に復元模型を重ねた写真

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年6月15日

 正殿の発掘調査に入って3週目となりました。
 表土やカクラン(遺構を壊す新しい時代の掘り込みり)の埋土を除去する作業もだいぶ進みました。正殿東側では大きな溝やカクランが入り込んでおり、多くの土を除去する必要がありましたが、そこからは土と一緒に大量の瓦も出土しました。正殿など政庁内の建物に葺かれていた瓦です。出土した瓦は全て破片ですが、それでも2週間で数十箱分の量になりました。
 調査で出た遺物(今回は主に瓦)は、現場から持ち帰って乾燥させた後、水の中でブラシなどを使いながら一つ一つ丁寧に洗っていきます。瓦に付着した土は、その質によって落ちにくいものもあり、手間と根気のいる作業です。
 瓦の種類をみると、「平瓦」がほとんどですが、中には建物の軒先を飾った「軒瓦」も数点ありました。文様の描かれた瓦や文字が書かれた瓦がないかどうか、注意しながら水洗い作業を進めています。
今週の調査風景写真表土やカクランから出土した瓦(水洗後)の写真

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年6月8日

 今週も、先週に引き続き第6次調査後に埋め戻された土を除去する作業を行いました。大きい道具を使ってこの埋め土を掘り上げる作業が中心ですが、小さい道具で細かく削って残っている遺構の状態を確認する作業も増えてきています。特に礎石や根固め石の周りは、削りすぎると石が動いてしまうので注意が必要です。
 今見えている36個の礎石の中には使われていた当時から動いていないものと、昭和46年の基壇復元工事の際に新たに置かれたものがあります。周りの土を除去してみると、当時からそのまま残っている礎石は、石自体がとても立派で、根固め石でガッチリと中の土に固定されています。ちょっとやそっとでは動きそうもありません。さすが1000年以上無事だっただけのことはあるなという感じです。それに比べると、工事の際に新たに置かれた石はやや小さく、周りに入れた砂利や土に支えられているような状態です。
 当時から残っている石も、新たに置かれた石も、そのまま残して調査を進める予定です。礎石周辺の精査は、安全面に十分配慮して行いたいと思います。
礎石周辺の新しい埋め土を取り除く作業風景の写真1礎石周辺の新しい埋め土を取り除く作業風景の写真2

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年6月1日

 先週、正殿上面アスファルトの撤去作業が終了し、今週からいよいよ正殿の発掘調査に入りました。撤去作業の様子については「環境整備いま」をご覧ください。
 復元工事の際に入れられたアスファルトと砕石を外すと、その下には昭和46年の整備の時に入れたと思われる非常に粘性の強いベタベタした土が出てきました。この粘土質の土をはがさないと6次調査の時に見つけた遺構は出てきません。スコップで掘り、一輪車で運び、を繰り返し、一週間かかってほぼ取り終わるところまできました。特に深いと予想された調査区南側では1m近く掘り下げたところもありますが、少しずつ遺構の姿が見えてきています。今週一週間は天気に恵まれましたが、特に体力を消耗する力仕事になりました。作業員のみなさんご苦労様でした。
 また、調査開始と共に正殿周辺には安全のためのネットを張っています。秋頃まで立ち入りできない状態が続きますがご了承ください。政庁周辺は、緑が青々と茂って吹き抜ける風が心地よい季節となりました。個人的にも一番好きな季節です。晴れの日が続くようですので梅雨入り前にぜひ足をお運びください。
正殿の盛土除去の様子発掘調査を開始した正殿周辺の様子

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年5月25日

 表土をはがし終わった五万崎地区では、少しずつ面を削りながら遺構を確認する作業が2週目に入りました。ケズリや移植ベラを使って丁寧に土をはいでいくと、柱穴や溝の輪郭が見えてきます。晴れの日はすぐ遺構面が乾いてしまうため、じょうろで水をまいて削りしやすくしながらの作業が続きます。多少湿っていた方が削りやすいので、ただ晴れればいいというわけではないのが天気の難しいところです。
 調査は北側から南に順次進んでいます。写真で一段掘り下がっているところが確認された遺構で、写真のとおり調査区内には非常に多くの柱穴・溝・土壙などが密集しています。北側の平坦面についてはおおよそ遺構分布の把握が終わりました。調査目的である区画施設の痕跡は今のところ見つかっていませんが、平坦面の中央から南側にかけては大きめの柱穴で構成される掘立柱建物もありそうだということがわかりました。
 今週で五万崎地区はいったん終了し、来週からは正殿地区の発掘調査に入る予定です。
五万崎地区(第84次調査)の調査風景写真じょうろで水をまきながらの遺構確認作業

(廣谷 和也)


多賀城跡発掘調査_2012年5月11日

 今週から発掘調査開始です。五万崎地区から調査に入りました。この調査区は元々考えられていた外郭南辺の100~120mほど内側を東西に延びる区画施設の想定ライン上に設定しています。想定が正しければ区画施設の位置や構造を明らかにすることができるはずです。
 まずはショベルカーを使って、表土(遺跡が使われなくなった後にたまった土)を除去する作業からはじめました。広さはおおよそ5~600㎡ほどです。北側半分は現地表面から30cmほどで遺構が見えてきますが、南側半分は場所によって1m以上掘り下げないと遺構が見えてこないところもあります。昨年の試掘調査の結果もふまえると、北側半分は比較的広い平坦面が広がりますが、調査区の地形は南西側に大きく傾斜しているようです。これからは手掘りで少しずつ面をきれいにしながら遺構の内容を把握していきたいと思います。
 連休終盤の悪天候がもう少し遅く来ていたら、この調査の進行もだいぶ遅れたかもしれません。昨年の調査では大型台風によって壁が崩れてしまうなどあまり天気には恵まれませんでしたが、今年は良い発掘日和が続くことを祈っています。
第84次調査区の位置
表土除去と遺構確認の様子ショベルカーによる表土除去の様子

(廣谷 和也)


政庁正殿の発掘調査基準杭設置_2012年4月27日

 今日は、時折小雨がパラつく中、発掘調査中に使う基準杭の設置を行いました。雨の中の作業は疲れが増しますが、普段はほとんど顔を出さないリスを見ることができたので良しとしたいと思います。
 今日の作業で、正殿の原点を元にした高さ20cmほどの木の杭を、正殿の東西南北に新たに設けました。周囲を歩かれる場合は念のため足下にお気をつけ下さい。
 多賀城跡では、Ⅱ期正殿の南入側柱列(南から二列目の礎石列)の中央にある原点と、同じく政庁南門跡の中央を通る点を結んだ軸線を発掘調査基準線としています。城内の発掘調査では、すべてこの軸線を基にしたグリッドで遺構の位置を把握していますので、この2つの基準点は非常に大事な存在です。
 現在専門の業者さんに測量を依頼し、昨年の大地震後に城内の基準点がどれだけ動いているか確かめているところです。正殿の原点は復旧工事で一時撤去しますが、測量で得られたデータなどを基に検討しながら、発掘調査終了後に正確な位置に戻す予定になっています。
 連休明けにはいよいよ発掘調査が始まります。休み中にしっかり体調を万全にして、発掘調査に臨みたいと思います。多賀城の桜は現在満開で、連休中は散り始めといったところでしょうか。運が良ければ木登りをするリスに会えるかもしれませんので、カメラ片手にぜひお立ち寄り下さい。
正殿の発掘調査基準杭設置の様子1正殿の発掘調査基準杭設置の様子2

(廣谷 和也)


平成24年度の発掘調査_2012年4月6日

 本年度の発掘調査は、創建期の多賀城外郭南辺の位置と構造の解明を目的とした五万崎地区の調査(第84次)と震災復旧工事に伴う政庁正殿跡の再調査(第85次)を行う予定です。
 特に第85次調査では、多賀城跡の中で最も重要な施設である政庁正殿を43年ぶりに発掘調査します。最後に正殿跡を調査したのは昭和44年度の第6次調査で、政庁地区の環境整備を目的として多賀城町(現多賀城市)が主体となり、当研究所が担当して行いました。正殿跡では、この第6次調査と第1次調査(昭和38年度)の成果を踏まえて昭和46年度に基壇と礎石を復元整備しています。その後の経年変化で、整備した基壇上面のアスファルト舗装に亀裂が生じていましたが、東日本大震災によりこの亀裂が一気に拡大し、舗装面に歪みが生じるなど史跡管理に影響を及ぼす規模に達したため、復旧工事を行うことにしました。正殿跡の再調査は、この復旧工事に伴って実施するもので、6月頃の開始を予定しています。基壇上面アスファルトの再舗装が主な復旧作業となるために整備した周囲の基壇化粧は外しませんが、ほぼ正殿全体が再び姿を現すことになります。現在、具体的な調査方法や再確認したい課題について検討を重ねています。
 また、五万崎地区を対象とした第84次調査は、5月のゴールデンウィーク明け頃に開始する予定です。第84・85次調査については、今年も発掘調査の最新情報をこのページに掲載しますので、是非ご覧ください。
第6次調査時の正殿の様子写真
環境整備された政庁正殿跡の写真正殿基壇上面アスファルト舗装の毀損状況写真

(三好 秀樹)


多賀城跡外郭北辺の地下探査2_2012年4月6日

地下探査成果による発掘調査候補地の図 多賀城跡の外郭北辺を対象に実施した地下探査の結果が出たので、その概要を報告します。
 今回の探査地点は、外郭北辺が平安時代の外郭東辺と接続する場所からやや西に寄った北辺東部にあたり、北側から入り込む沢の内部を北辺築地塀の推定線が横断しています。この築地推定線に沿った探査測線と直交して谷の中央を縦断する探査測線の2測線を設け、電気探査・表面波探査を実施しました。電気探査は、地表に打設した多数の電極より地中に電流を流し、電気の流れ易さを測定して地下の土質状況を推定するものです。また、表面探査は、多数の地震計を並べ、カケヤで地面を強打して表面波を発生させ、その伝わる速度の違いから地下の人工構造物の有無や構造を推定するものです。
 その結果、築地塀の基底部や基壇積土、築地崩壊土が残存する可能性がある箇所、築地塀に伴う溝などの存在が予想される箇所などが見つかりました。第9次5ヵ年計画の最終年度(平成25年度)に予定している外郭北辺の調査では、こうした地下探査の成果を基に調査地点を絞り込み、発掘調査で最大限の成果を得たいと考えています。今後の調査にご期待下さい。

(三好 秀樹)


多賀城跡外郭北辺の地下探査_2012年3月8日

 多賀城跡の外郭北辺で、地下探査を昨年12月と本年1月の2回実施しました。地下探査には、地表に一定間隔で設置した電極から地盤に電流を流してその電気的性質(抵抗値の違い)を測定することにより、地下の状況を把握する電気探査という手法が用いられました。こうした探査で地下に埋もれた築地塀や大溝、石垣などの遺構の様子をある程度推定することができるそうです。
 今回の探査地点は、平安時代の外郭東辺が北辺と接続する場所からやや西に寄った北辺東部にあたり、北側から入り込む沢の内部で急峻な傾斜地となっています。これまでに外郭北辺の丘陵上では築地塀の存在を確認していますが、沢の部分は未調査で、外郭施設の構造を確かめる必要があります。また、門や水門といった施設の存在も予想され、現在行っている外郭施設の解明を目的とした多賀城跡発掘調査第9次五ヵ年計画でも北辺の沢内部の調査は大きな課題の一つです。
 発掘調査を行いにくい場所ですが、こうした地下探査の成果を基に重要な範囲を絞り込んで調査を実施し、また調査しきれない部分を地下探査の成果で補完できればと考えています。探査の結果については、3月中旬頃に委託業者から報告を受ける予定です。その概要については次回、このページに掲載したいと思います。
多賀城跡外郭北辺の地下探査実施地点図地下探査の様子1地下探査の様子2

(三好 秀樹)


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