城外の様子

 多賀城外の南~西側の低地には、平安時代になると南北・東西大路を基準とした道路による方格地割が行われ、町並みができました。町並みは次第に拡大し、丘陵上の多賀城跡や多賀城廃寺とともに多くの人々が暮らす都市を形成しました。
 南北大路は多賀城内の政庁~南門間の道路の延長上にあり、当初は道幅18mで建設されましたが、すぐに23mに拡幅されました。また、東西大路は多賀城外郭南辺からおよそ550m(当時の単位で5町=1里)離れて、道幅12mで建設されました。大路の間にはおよそ110m(1町)間隔で道幅3mほどの小路が造られ、地割を形成しています。
 地割内の大路沿いには上級役人が邸宅を構えており、小路に面した地区には下級役人や様々な職業の人々が暮らしていました。さらに、地割のはずれや外側には水田や畑、墓地が営まれていました。

城外の様子を略図と写真で紹介