前期展示 9月26日から11月26日まで

食べ物をとる・育てる 今はお店に行けばいろいろな食べ物を買えますが、縄文時代の大昔からちょっと昔の時代まで、人々はとても苦労をして自分たちで食べ物を手に入れていたのです。

どの時代でも食料を手に入れるのには多くの工夫と苦労がありました。縄文時代には、季節によって移り変わる自然の恵みの中から、秋に木の実を多量に集めて1年中の主食とし、さまざまな道具を工夫して動物や魚を手に入れていました。弥生時代以降もさまざまな食料がありましたが、ここでは米作りに焦点をしぼり、仕事を効率的にするために農耕具をどのように改良していったのかを、米作りの工程ごとに紹介していきます。

資料の見どころ
資料画像 イノシシの剥製と弓矢の模型によって縄文人の狩猟の様子を再現します。縄文人は、秋にたくさん採集した木の実を保存して1年中の主食としましたが、男たちが獲ってくるシカやイノシシもまた重要なごちそうでした。 資料画像 古墳時代から現代までの田起こしの道具。耕す仕事はもともとは鍬1本の力勝負でした。鍬は、弥生〜古墳時代には先まで全て木で作られ、次第に鉄の刃がつけられるようになります。これは風呂鍬として現代まで引き継がれます。先が3〜4本に分かれた備中鍬は江戸時代に考案され、粘土質の土を耕すのに威力を発揮し全国に普及しました。100年程前からは西洋スキが導入されて馬や牛にひかせて耕すようになりましたが、4050年前に動力耕耘機が普及し人力の10倍近く能率があがるようになりました。
いのしし(剥製) 耕す道具
平鍬・風呂鍬・備中鍬
資料画像 弥生時代と現在の稲刈り道具。弥生時代は、石包丁で稲の穂だけを切り取って収穫していました。鉄製の鎌で根本から刈りとるのは古墳時代になってからです。この方法は、約50年前に稲刈り機が発明されるまでずっと変わらなかったのです。 資料画像 稲穂から籾をはずす道具。脱穀作業は、江戸時代中頃に千歯扱きが考案されて画期的に早くできるようになりました。それ以前は2本の竹に挟んで数本ずつしごいて籾をはずしていたのです。大正時代になるとさらに2倍くらいの効率があがる足踏み脱穀機が現れますが、使い慣れた千歯扱きを昭和の初めまで使う農家もありました。
石包丁と稲刈り鎌 千歯こき

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