TEL. 022-368-0102
〒985-0862 宮城県多賀城市高崎1-22-1
昭和35年、宮城県教育委員会は当時の多賀城町と河北文化事業団と協力し、東北地方の歴史の原点とも言える多賀城跡とその付属寺院である多賀城廃寺跡(当時は高崎廃寺跡と呼んでいました)の学術調査を始めることにしました。昭和36年度からは本格的な発掘調査を開始し、昭和36・37年には高崎廃寺跡、昭和38年から昭和40年までは多賀城政庁跡を調査し、建物の配置や変遷を解明することに成功しました。当時、古代の遺構についての考古学的な調査方法は確立されていませんでしたので、多賀城政庁跡の調査結果は画期的な成果として全国的に注目されました。
これらの成果により、多賀城跡と多賀城廃寺は昭和41年に国の特別史跡に指定されました。これを受け、地元の多賀城町では新たに「特別史跡多賀城跡附寺跡環境整備委員会」を組織して環境整備をおこなうこととし、それに先立つ発掘調査を昭和41~44年におこないました。そして、昭和44年、これら一連の調査を継承する組織として宮城県教育委員会が「宮城県多賀城跡調査研究所」を設立したのです。
宮城県では史跡の総合的な研究を目指して「多賀城跡調査研究委員会」を設置し、その指導の下で宮城県多賀城跡調査研究所が5年ごとに中期目標を掲げた調査5ヵ年計画を立案し、計画的な発掘調査を継続しています。
これに加え昭和45年からは、多賀城跡を一般の方々に親しまれる史跡公園として整備するための「多賀城跡環境整備事業」を開始し、同じく5年ごとに整備計画を立案し、史跡の環境整備事業を進めています。整備にあたっては、史跡を探訪する方々が、東北地方の悠久の歴史に思いを馳せることができるよう、調査研究成果に基づいた施設の復元を心がけ、園路沿いに説明板・あずまや・トイレなどを配置しています。このように、多賀城跡調査研究所は、調査と整備を連動させる形で事業を継続しています。
さらに、昭和49年からは、多賀城と密接な関連をもつ宮城県北部の城柵・官衙遺跡(伊治城跡・桃生城跡・名生館官衙遺跡・東山官衙遺跡)や多賀城の屋根瓦を生産した遺跡(日の出山窯跡群・下伊場野窯跡・木戸窯跡群・大吉山瓦窯跡)についても計画的な発掘調査を継続しています。
〈職員〉
〈研究班〉
上席主任研究員(班長) 関口 重樹
副主任研究員(副班長) 廣谷 和也
副主任研究員 古田 和誠
研 究 員 村田 晃一
技 師 鈴木 貴生
技 師 何 戌琪
所 長 ―― 管理部長 ―― 総括次長――
吉野 武 舘内 浩之 貝塚 綾子
[博物館兼務] [博物館兼務] 〈管理班〉
主 幹(班長) 小野寺裕子[博物館兼務]
主 任 主 査 鉄本 紀章[博物館兼務]
主 査 齋藤いずみ[博物館兼務]
主 事 古関 萌衣[博物館兼務]
平成31年4月、当研究所は設立50周年という節目を迎えました。特別史跡多賀城跡の指定範囲は総面積で約1,070,000㎡という広大な範囲に及んでいます。言うまでもなく、この地域は、特別史跡である以前に、先祖代々この地に居を構えてきた地域住民の皆さんの生活の場でもあります。広大な特別史跡の調査を継続し、よりよいかたちで貴重な遺跡を未来に継承していくために、地元住民の皆さんのご理解とご協力は不可欠です。
多賀城では市民の皆さんが特別史跡の顕彰、除草・清掃・美化などの作業に積極的に参加されています。また、こうした作業を、史跡を管理する多賀城市教育委員会やNPOなどの関係者の皆さんが支えています。宮城県多賀城跡調査研究所は、こうした市民・住民の皆さんと共に、特別史跡多賀城跡の魅力を掘り起こし、整備し、情報を発信する作業を、地道に進めていきたいと思います。
宮城県多賀城跡調査研究所
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宮城県多賀城市高崎1-22-1
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