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Miyagi Prefectural Research Institute of The Tagajo site

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多賀城スコープ/派遣日記CONCEPT

平成26年度 派遣日記vol.4_2014年11月28日

 今回は、JR常磐線に伴う発掘調査で出土した資料の速報展のご案内です。展示内容は、前回報告した夏場の調査で出土した「大領」と書かれた墨書土器や、役人が使用した木の道具などです。

 会 場 :山元町歴史民俗資料館(山元町浅生原字日向13-5)
 期 間 :平成26年11月15日(土)から12月14日(日)【月曜、祝日は休館日】
 開館時間:9:30~16:30 

特に5点見つかった「大領」の墨書土器は、東北地方では初の出土例で、全国的にも大変珍しいものです。「大領」とは、古代の郡を収める役人の中でも最も位の高い人物の役職名で、熊の作遺跡が古代亘理郡のトップである人物と、密接に関わる存在であることを明確に物語っています。展示では、「大領」のほかに多量に出土した木製品の中でも残りの良いものを何点か展示しています。特に檜扇(写真)は、古代の役人が持つもので、発掘調査からの出土は珍しいものです。亘理郡の「大領」が使用したものでしょうか。
 この展示以降は、記録をとったり保存処理をしたりという作業に入りますので、出土したままの状態で皆さんにお見せできるのは今回が最後になるかもしれません。この機会にぜひご覧いください。
 現在、常磐線発掘調査チームは、いよいよ最後の調査となる来月からの発掘調査に向けて準備を進めています。次回の報告では、常磐線の発掘調査全体の完了報告ができるように頑張りたいと思います。
写真1 墨書土器「大領」写真2 檜扇

(廣谷 和也)


平成26年度 派遣日記vol.3_2014年8月21日

 今年は、梅雨は梅雨らしく雨が降り、夏は夏らしく日差しの強い日が続いています。個人的には、四季の変化を多く感じられるほうが好きなのでこういう年も悪くありませんが、野外の発掘現場にとってはどちらも大敵です。
 昨年4月に始まった、山元町の常磐線移設に関連する遺跡の発掘調査も、いよいよ終盤戦に入ってきました。6月に説明会を開催した新中永窪遺跡の調査はすでに終了し、現在は坂元中学校近くの熊の作遺跡の調査を行っています。この遺跡の調査は、昨年度からすでに着手しており、現在も地名として残る「坂元」と墨で書かれた土器や、福島との関連を示す東北最古級の木簡がみつかる大きな成果があがりました。他にも大型の竪穴住居や掘立柱建物や、四脚門(扉がとりつく柱以外に4本の柱を設けて屋根を支える構造の門。扉だけの門より格が高く、当時の役所跡などにもみられる。)とそれにつながる材木列がみつかるなど、山元町の奈良・平安時代を語る上で欠かせない遺跡となりつつあります。
 今回調査をしている場所は、昨年度みつかった四脚門の南側に隣接しており、現在は湿地帯になっています。こういった周りから水が集まる場所では、通常は腐ってしまう木製品や、墨で書いた文字などが消えずに残っていることが多く、状態の良い製品の出土が期待されます。すでに調査序盤にして木製品や墨書土器が出土し始めました。調査区の中は常に水や泥との戦いですが、全員泥まみれになりながらも、昨年に負けない成果があがる期待を胸に調査を続けています。
 体力が奪われる現場ではありますが、地元の作業員さんが差し入れてくれるとれたての野菜や果物で体力回復しながら毎日を乗り切っています。なかでも私は、好物のトマトがエネルギー源です。
 今後の成果については、報告準備が整い次第こちらのHPでもご紹介していきたいと思います。
熊の作遺跡の発掘調査の様子木製品を検出している様子

(廣谷 和也)


平成26年度 派遣日記vol.2_2014年6月12日

製鉄炉(南から) 今回は、6月15日(日)に山元町新中永窪遺跡で開催される現地説明会についてご紹介いたします。
 新中永窪遺跡では、奈良時代~平安時代初期(8世紀~9世紀初頭)の集落遺跡・生産遺跡で、竪穴住居跡7軒、製鉄炉跡1基、須恵器や木炭を焼いた窯跡9基などが見つかりました。窯や製鉄炉は密集し、重複して造られていることから、須恵器や鉄などの生産活動が盛んに行われた遺跡であることがわかりました。また、「竪型炉」と呼ばれる製鉄炉や、「横口付木炭窯」と呼ばれる木炭窯は、県内でも調査例の少ない構造のもので、良好な状態で発見されました。
 また、これらの生産に携わった人々の住居や工房が隣接して見つかっており、古代の生産遺跡の様子を知る上でも大変貴重な発見となりました。急な斜面を何度も利用して土器や鉄を作った様子がご覧いただけますので、ぜひ足をお運びください。
 なお、現場は斜面となっておりますので、歩きやすい安全な格好でお越しください。

開催日:平成25年6月15日(日)  午後 13時30分から

会 場:「新中永窪遺跡」発掘調査現場

3基並んだ木炭窯(南から)横口付木炭窯(北東から)

(廣谷 和也)


平成26年度 派遣日記vol.1_2014年4月28日

 3年前の大震災以降、岩手・宮城・福島3県の遺跡発掘調査事情は大きく変わりました。高台移転や防波堤の整備、高速道路・線路の建設などに伴う、沿岸部地域での遺跡の発掘調査が大幅に増えたからです。当研究所では、調査を担当している宮城県文化財保護課を支援するため、一昨年から職員の派遣という形で協力を行なってきました。
 震災で大きく被災した東北3県では、全国各地から発掘調査事業を専門とする職員の派遣協力を受けています。その支援のお陰で、増加した沿岸部各地の調査に何とか対応しています。当研究所も地元の関係機関として、派遣職員数を昨年度までの1名から2名に増やし、その支援体制を強化することにしました。
 2名の職員はそれぞれ、4月2週目から多賀城市山王遺跡(三陸沿岸道路多賀城IC関連)と山元町新中永窪遺跡(JR常磐線移設関連)の発掘調査に入っています。山王遺跡は多賀城城下に広がる街並み、新中永窪遺跡は奈良時代の鉄や土器を作っていた遺跡で、どちらも多賀城と関係の深い遺跡の担当となりました。多賀城跡調査研究所でのこれまでの経験を活かしながら、県内の震災関連の発掘調査、そして被災地の復興が少しでも前に進むよう、取り組んでいきたいと考えています。
 研究所に出勤する機会が少ないので更新回数は限られますが、その時々の震災復興事業に関連した発掘調査情報を記して、皆様にお伝えしていきたいと思います。
新中永窪遺跡_調査風景1新中永窪遺跡_調査風景2新中永窪遺跡_須恵器を焼いた窯跡新中永窪遺跡_鉄滓のフルイがけ

(廣谷 和也)


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