多賀城廃寺跡

 仏教の力で東北地方の安定を図るため建てられた多賀城跡の付属寺院で、多賀城跡と同時に創建されました。
 講堂を正面とし、東側に三重の塔、西側に金堂を配置し、築地塀で囲んでいます。このような配置は、多賀城跡の前身である仙台市郡山遺跡の付属寺院である郡山廃寺や大宰府の付属寺院である観世音寺と似ています。さらに、北外側には僧坊や子房、経楼や倉庫がありました。
 2㎞ほど西側で、万灯会(まんとうえ)で使われた多量の土器とともに「観音寺」と墨書された土器が発掘され、多賀城廃寺は当時「かんのんじ」または「かんぜおんじ」という名前であったと考えられています。
 多量の瓦の他に、陶塔や泥塔、粘土製の仏像の破片などの仏教に関連する遺物も発見されています。

多賀城廃寺跡の伽藍復元模型